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記者会見の決意

2018年12月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 12月3日。86歳になった僕の父、三浦雄一郎が来年1月に南米最高峰アコンカグアに登り、スキーで滑走するという計画を記者会見で公表した。一緒に遠征する僕も同席したこの会見には、多くの報道陣が集まって記事や番組で取り上げてくれた。父の挑戦が今でも人の注目を集めていることを改めて確認できた。
 父はこれまでも、遠征前に必ず記者会見を開いてきた。その活動をひろく世に知ってもらうために。高齢になったいまも危険な挑戦を続けることに共感する人がいる半面、同じくらい反対意見がある。それは当然のことだと僕たちは受けとめているし、そのうえで、こうして発信することに意義があると思っている。

 父は生来の冒険家である。人の注目と期待を力に変え、同時に「できっこない」という否定的な見方も発奮材料にする。1970年のエベレスト遠征時もそうだった。父がエベレスト登山とローツェフェースからのスキー滑走の計画を明らかにすると、「あそこをスキーで滑るのは無理ではないか」と言った人がいた。いまは故人となったエドモンド・ヒラリー氏。エベレストに最初に登った偉人が懸念を表明したのである。
 その後、70歳になった父が再度エベレストに挑んだのは長いブランクのあと。この時は生活習慣病も案じられ、ドクターストップがかかっていた。
 75歳になると、父は又エベレストへ。このとき、心房細動という不整脈の症状を父の心臓に認めた医師は言った。「三浦さん、このままエベレストに登るのは、ワニがたくさんいる池に裸で飛び込むようなものですよ」
 80歳。エベレスト遠征前の父がスキーで骨盤を骨折したときも、主治医が言った。「エベレストどころか普通の生活が送れるようになれば幸運ですよ」
 改めて記すまでもないことだが、以上の冒険を父はすべて成功させている。父は有限実行型の冒険家であり、その成功率は極めて高い。専門家の制止も押しのけて、登るといったら登る人である。

 7大陸最高峰の一つであるアコンカグアは多くの優れた登山家が挑んだ山で、登頂率は3分の1程度。登頂できずにおりた人がそれだけいる。その山に、86歳の父が挑む。年相応に体力の低下が認められ、不整脈の不安も残る。しかし、あの父が記者会見で「アコンカグアに登って滑る」と言った。言ったからには言霊と呼ばれるものが宿っていても不思議はないのである。

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