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欲求は相対的なもの

2017年9月30日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 僕たち夫婦にとって3人目の子供が生まれた。これまで4人ですんでいた家が5人になったので、家の中の整理と断捨離を決行した。

 ものを整理して思い出したのは、今年春に遠征した米アラスカのデナリの光景だ。デナリでは原則、滞在のための荷物をすべて自分で持っていかなければならない。3週間の登山を計画した僕たちは食料、燃料、登山道具など合計220㌔の荷を4人で手分けして登った。要らないものは切り詰めるだけ切り詰める。下着上下は1人2着まで。白夜だからヘッドライトは不要。トイレットペーパーも1人1個で済ませるというほどの徹底ぶりであった。
 そうやって標高4200㍍に所在するメディカルキャンプ(C4)に到着した。ここは広くて景色もよく、多くの人がここで最終アタックのための準備を整える。僕たちも静養のため2日を過ごした。

 夕方になると「食料はいらないかあ。燃料はいらないかあ」と叫びながらソリを引く人がいた。多くの隊は1ヶ月ほどの滞在を見越して、食料や燃料を多めに持ち込む。登頂を済ませた後で、少しでも荷を軽くするために不要になったものをここで配っているのである。僕たちの行程は順調だったし、このままでも問題はない。しかし、僕としてはトイレットペーパーの蓄えに不安があったので無心したところ、数時間後にテントまで届けてくれた。
 こうした仕組みをうまく利用していたのが、キャンプ地で出会ったクリス君とオースティン君。米モンタナ州の大学に通う彼らは、2週間前にデナリ登頂を果たした後も、まだキャンプ地にいた。ここでは山を下りてくる隊が燃料や食料をただで置いていってくれる。町まで下りて家賃や食費の払いにきゅうきゅうとするよりもよほど快適だと、毎日スキーをしたり各国の登山家たちと交歓したりでキャンプ生活をエンジョイしていた。

 都会で暮らしていると、欲しいものはたくさん見つかる。新しい携帯電話やアウトドア商品、おいしそうなレストラン、コンビニの新商品が目にはいる。おなかがすいていないのに、すいた気持ちになる。
 反対に何もかも不足しているはずの登山では、生きて帰るために欠かせないものだけが必需品で、あとのものは負担になる。僕はトイレットペーパーを1つ手にするだけで贅沢した気持ちになれた。欲求とは状況によって大きく変化するものだなと思った。


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