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新谷さんと知床大遠征

2016年10月1日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 念願の新谷暁生さんの知床カヤックエクスペディションに参加した。新谷さんは父と旧知の仲で一流の登山家であり、シーカヤッカーである。
 新谷さんの主催する知床エクスペディションは、エベレストがエクスペディションと呼ばれているのと同様に、まぎれもない大遠征であった。せかし自然遺産である知床半島、そのほとんどが文明と断絶された海岸線であり、そこで過ごすため7日間の食材、料理道具、テント、個人・共同装備をすべてカヤックに詰め込み自分たちの手で漕いだ。

 初日、ウトロを出発し、最初の浜「マムシ浜」にたどり着いた。新谷さんはすばやく周りにある大きな流木を50㌢ほどの間隔に置く。その間に着火材と細かい枝を置いて火をつける。火の様子を見ながら少しずつ流木をくべるとあっという間に立派なたき火が出来上がった。
 新谷さんによると、この方法は東ネパールを発端とし、ユーラシア大陸の東西に延びる照葉樹林文化によるたき火方法であると言う。照葉樹林帯は西日本から台湾、華南、ブータン、ヒマラヤに広がる植生で、この地域では湿気が多い。たき火を行うにはこのように大きな木で炎を閉じ込め、その太い木自体も燃えながら対流を起こすと雨の中でもたき火ができるという。たき火は知床のような北方の地でカヤックするときには体を温めるライフラインである。
 このたき火は料理にも欠かせない。新谷さんは今回ほとんど毎日違うメニューで11人分の料理を作った。そしてそれぞれが抜群の味であった。何よりもたき火で釜に焦げを付けずにふっくらと米をたく手法は野外料理技術の粋とも言える。

 20年間、世界遺産になる以前から知床でガイドを行い漕ぎ続けている新谷さん。知床が世界遺産になる際、最も辛抱強く行政や関係者に訴えかけたのがこのたき火の重要性である。「たき火がないとひゃっこい(寒い)べあ」とはにかみながら話すが、国立公園であり世界遺産である知床に関わるすべての人たちにたき火の重要性を理解してもらうのは並大抵のことではなかったろう。
 しかし、そうして勝ち得た知床でのたき火、満天の星空の下、揺らぐ炎を見ながらお酒を飲んで大いに語り合うと、それは本当に価値あることであったと深く理解するのであっ

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