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アムンゼンの軌跡

2015年8月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 ノルウェー人のロアール・アムンゼンは20世紀初頭を代表する探険家の一人である。今回のスバールバル諸島で彼が歩んだ軌跡を見ることができた。

 彼の最も有名な探検はイギリス海軍のロバート・スコット大佐との南極点到達レースであろう。スコット大佐は学術調査と国家の威信をかけ、アムンゼンは幼い頃からの極地の憧れを実現すべく南極点初到達をかけてのレースが始まった。
 結局、イヌイットから極地のサバイバル術を学び、軽量な犬ゾリを使ったアムンゼンが先に到達。スコット大佐と彼の仲間4人は極点にたどり着くも失意のまま帰路、季節外れの大吹雪に襲われイギリス隊は生きて帰ることはなかった。

 劇的な南極点のレースであったが、実は計画当初、アムンゼンの目標は北極点であったことはあまり知られていない。急きょ南極に変更したのは米国人のロバート・ピアリーが先に到達したというニュースを聞いたためだ。
 南極点に初到達を果たしたアムンゼンは、その後再び北極点を目標とする。1926年、イタリア人の飛行船設計者、ウンゲルト・ノビレに計画を持ちかけ、飛行船を購入した。その飛行船にはノルウェーを意味する「ノルゲ」と名付け、アムンゼンはノビレと彼のクルー、米国出資者のリンカン・エルスワース、そしてスウェーデンの気象学者フィン・マルムグレンと供に北極点に飛び立った。この冒険は大成功に終わり、北極点を越えてアラスカまで飛んだ。

 冒険は成功に終わったが、ノビレは自分の飛行船を使い操縦したにもかかわらず、手柄がアムンゼンとノルウェーにほとんど持っていかれたと思った。そのため28年、ノビレは「イタリア」と名付けた飛行船で同じ航路を飛ぼうとした。だが、この飛行船は途中で墜落。ノビレの救助のためアムンゼンは飛行艇で向かうが、捜索中、墜落して帰らぬ人となる。
 飽くなき冒険心を持ち、生涯を極地の探検にささげたアムンゼンであったが、彼の没後、意外な事実が分る。北極に最初に到達したとされる米国人ピアリーはその業績に疑惑の目が向けられる。現在ではアムンゼンが最初に南極及び北極に到達したとされる。スバールバル諸島のニーオルソンにある飛行船「ノルゲ」をつないだ鉄塔は今でも健在だ。それを見上げながらアムンゼンの冒険心に思いをはせた。

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