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父の生命力に感謝

2013年6月1日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 今回のエベレスト登頂で最も重要なのは、周囲の景色が山頂の地形とわかる父のマスクを外した証拠写真である。80歳という世界最高齢で登頂したという揺るぎない事実を世界に知らせるためだ。以前、最高齢の記録を作った人物がいたが、彼が頂上に立った写真は1枚も表に出てこなかったこともある。
 ところが父はすべての写真撮りでマスクを外してしまった。この高度ではマスクを外して行動すること自体危険極まりない。山頂で50分も費やしてしまった。この高度だと、滞在が長引くだけリスクが高まる。案の定、下山で父の足元がおぼつかない。高所の活動で疲労がたまり、山頂でマスクを外したのが効いてきた。最終キャンプのC5(8500㍍)が見え始めた頃、状態が劇的に悪化。まっすぐ歩くこともできず、座り込むと動けなくなった。

 C5まで無理やり連れて下りる。これはかなり危険な状態である。しかし、父はテントの中に入り、何かムシャムシャ食べている。「意識は大丈夫?」と聞くと「ああ、赤飯と三浦ケーキがおいしいよ」と答えがあった。しばらくすると顔に生気が戻ってきた。父に2人のシェルパを前後につけて下ることにした。その後ろを僕が見ながら下りる。
 彼らは半ば強引に父をフィックスロープにくくり付け、ものすごいスピードで下りていく。父もそのスピードに負けじと必死に足を動かす。

 結局、懸念していた時間より驚くほど早く、7時にはC4(7980㍍)に着いていた。日没ぎりぎりである。父はテントに転がり込むと、寝袋の中に入ってすぐに寝息をたてて寝てしまった。朝の2時から夜の7時まで、行動時間にすると17時間。普通の80歳が超高所で動く行動時間ではない。翌日もC2(6500㍍)まで13時間かけて下りた。
 最後のアイスフォールを自分の足で歩きたいと父は言ったが、気温の急上昇で、氷の崩壊が続きハシゴも落下するなど不安定な状態の中で、回復途上の父が時間をかけて、これを越えていくにはシェルパらのリスクも大きい。父は「隊として成功するには全員が生きて帰ることが大事だ」と、C2から最終的にヘリコプターで下山することを決断した。

 いろんな「もし」が頭をよぎるが、感謝すべきは父・三浦雄一郎の生命力である。一度倒れながらよくあそこから復活してくれたと何度も思う。

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