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デナリ登山 最高の体験

2017年7月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 6月26日午前5時。陽光はまだデナリ山の背後に隠れていた。僕たちは難所デナリパスを抜けて山頂を目指していた。デナリパスは過去に山田昇、小松幸三、三枝照雄と言った日本の一流登山家たちが消息を絶った急斜面のトラバースである。この米アラスカの巨峰は当時マッキンリーと呼ばれ、冒険家の植村直己氏が帰らぬ人となった山として有名。日本人にはデナリよりもマッキンリーの名の方がなじみ深いのではないか。

 北極圏に近いデナリはこの時期、白夜となる。太陽は申し訳ばかりに山の陰に隠れるが、空はいつまでも明るい。必要装備のレストからヘッドランプが早々と外された。だが、白夜と言っても昼夜のリズムというものがある。深夜の気温は零下十数度となるが、日中は40度を超える暑さに悩まされた。
 僕たちがデナリパスを歩いている時、手元の温度計は零下15度を示していた。多くの登山家を飲み込んだ急斜面と極寒の空気。目に見えない緊張の糸が張り詰めているようだった。
 先頭を行くのは貫田宗男氏。最近ではお茶の間のテレビによく見られるようになったが、中身は生粋の登山家である。彼のリードでここまでたどり着いた。僕の後ろには元井益郎氏。有名製薬会社の社長でありながら登山に目覚め、デナリに登ろうと声をかけてくれた。その後ろから27歳の若手クライマー、飯田祐一郎君がしっかりとみんなに目を配らせている。この2週間、僕たち4人は同じテントで寝食をともにし、ロープにつながれてきた。

 デナリ登山は標高2100㍍のカヒルトナ氷河南東支流から始まる。3週間ほどの日程で組まれた今回の山行は、全員が220㌔もの装備と食料をザックとソリに分けて運び、氷河上を進むところから始まった。頂上までの標高差は4000㍍以上。これは通常のヒマラヤ登山をも上回る。
 デナリパスからさらに6時間、地表の半分以下の薄い大気にあえぎながら山頂についた。お互いの肩をたたき合い、広がる景色を見る。北米最高地点のこの場所から東西南北に広がる氷河と、氷河に削られえた地形が目に映る。氷河の先は川となり、蛇行して大地に根付くようにはい回っている。地形と天象が複雑に絡み合い、雲が生き物のようにうごめいている。デナリに登ることは目の前に広がる景色全てを体験することであった。いい仲間と登った最高の登山だった。

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