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チリ合宿

2018年8月4日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 僕たちが今回の合宿地に選んだのはチリの首都サンティアゴの東方、アンデス山脈にあるバジェネバドスキー場である。最高地点の標高は3700㍍。富士山の山頂でトレーニングするようなものだ。
 僕たちがこの合宿地を選んだのは昨年のこと。父の三浦雄一郎がチョオユー(標高8201㍍)のスキー滑走を目標としていた頃だった。チョオユー遠征自体は今年になってチベット登山協会が8000㍍峰に立ち入る登山者に年齢制限を設けたため断念したが、その事前合宿として計画していたチリでの高所トレーニングはそのまま実現したわけである。

 チョオユーへの出発は9月を予定していた。過去の遠征では、本番の登山前の高地順化は現地に近いヒマラヤを選んできたが、6月から9月にかけてのヒマラヤはモンスーン時期(雨季)にあたる。天候不順で航空便が欠航となる恐れがあった。
 9月にチョオユーに登るには7~8月に順化を済ませたい。特に今回はスキー滑走を伴うので事前合宿も雪のある地が望ましい。はじめは欧州でと思ったが、欧州の山小屋に長く滞在するのはストレスがたまる。それで冬の南米はどうかという話になった。

 のちにチョオユー遠征が頓挫すると、僕らの目的地は南米最高峰のアコンカグアに替わった。こうなると、同じ南米、同じスペイン語圏のチリでの事前合宿はいよいよ都合がいい。アコンカグアがあるのはアルゼンチンだが、バジェネバドスキー場の奥にあるプロモ山はアコンカグア登山前の順化にもよく使われている土地である。そして何より、この地は父のスキーに対する情熱を満たしてくれる。これまで何度も高所トレーニングを積んだヒマラヤのクンブ地方では何度も遠征したがためにトレーニングが単調になりがちで、父のモチベーションが低くなっていた。
 しかしながら、このスキー場に来てからというもの、父は水を得た魚のように一日中スキーに励んでいる。最初の2日間は数ターンごとにぜいぜいハアハアと荒い息をして、スキーも休み休み滑っていたが、1週間もたつとロングランが平気になり、しっかりとエッジで斜面を捉えながら滑るようになった。

 スキーとは無酸素運動だ。空気の薄い高所では過酷な運動だ。アコンカグアの山頂からの滑走には今以上の体力が必要だが、目的と手段を自分の楽しみにできれば、人はトレーニングをいとわないようである。

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