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父・雄一郎 奇跡の回復

2012年1月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 18世紀から次々とヨーロッパ各地の山が征服されている中、マッターホルンだけは難攻不落の「魔の山」として恐れられていた。しかしエドワード・ウィンパーは当時、イタリア側南西尾根のコースがなだらかでやさしいとされていた常識を覆し、急しゅんな北東のヘルンリ尾根を選び初登頂に成功した。
 彼は観察を続け一見、険しく登りにくいように見える斜面も、反対に地層が逆目を向いているので登坂に有利ではと考え、チャレンジに成功した。

 1978年、ラインホルト・メスナーは初のエベレスト無酸素登頂を果たした。それまで、どんな医師も生理学者もエベレストの頂上に酸素補給無しで立つのは不可能としていたが、彼の登頂によって当時は未解明だった高所医学の多くの事象が明らかになった。
 登山家や冒険家たちは強い意志と努力によってこれまでの常識を覆してきた歴史がある。

 父・三浦雄一郎も常識破りの1人だと思う。最初にスキーでエベレスト直滑降を試みようと、エベレストに初登頂したヒラリー卿に相談したところ「不可能に近い」と言われた。しかし、1970年、ほぼ垂直に切り立つ壁、エベレストのローツェフェースをバラシュートをつけて直滑降した。
 3年前にはスキー事故で4箇所も骨盤を骨折する大ケガをし、「回復しても立ち上がるのも難しいのではないか」との診断を受けた。今でも定期的にNTT東日本札幌病院の井上雅之医師の検診を受けているが、昨年末の検診後、井上先生から僕に電話があった。悪い結果を予想していたが、その逆で、ほぼ完璧な治癒というのである。
 骨折した骨盤はほとんど切れ目が分からないほどに完治した。最も骨折の度合いがひどかった左足の股関節に関しては、柔軟性、筋力などはむしろ右側より優れているという。

 高齢になると骨の付き具合が悪く、骨折がもとで寝たきりになる人は珍しくない。これほどの回復を見せる80歳に近い人は前例が無いという。父の想像を超えるリハビリの努力が、医療の常識を打ち破ったともいえるだろう。
 挑戦者はチャレンジを通じて、化学の発展という新天地への道を開くことがある。80歳のエベレスト挑戦も、新しい扉を開ける冒険だと確信している。

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