見出し画像

低酸素トレーニング

2018年12月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 来年1月のアコンカグア遠征に向けて、父の三浦雄一郎と僕は現在、東京・代々木にある低酸素室で高度順化に努めている。低酸素室とは、酸素濃度を薄めて高所環境に近づけた部屋のことである。
 高所トレーニングというと、一般的には高所で走ったり登山をしたりというイメージを抱かれるかもしれない。もちろん、体を動かすのも高度順化の一部だが、部屋の中で安静にしていたり、ごろごろ寝ていたりするのも立派なトレーニングである。

 低酸素室に入るとき、僕たちはパルスオキシメーターという機器を指に装着する。この装置が指先に光を透過させることで、血中酸素飽和度(SpO2)の数値、すなわち血液にどれほどの酸素が含まれているかがわかる。健康な人が海抜0㍍で測ると通常100~95%の値がでるが、この割合が高所や低酸素室ではぐんと少なくなる。
 高所環境での過ごし方のうち、安静、運動、睡眠のいずれが体を酸欠にしやすいかというと、意外にも睡眠である。運動中も、もちろん筋肉によって酸素が消費されるから血中酸素濃度は低くなる。標高4000㍍付近で運動するとSpO2は80~70%ほど。これが睡眠中となると、60%に満たないことも珍しくない。
 その原因は、睡眠中の呼吸が無意識であることにあると言う。無意識下の呼吸は延髄にある呼吸中枢がつかさどっていて、この器官は酸素不足よりも、二酸化炭素の蓄積に対して敏感に反応する。二酸化炭素が血中に増えると苦しく感じ、呼吸を促すようにできている。

 運動中であれば血中の二酸化炭素が増えるが、睡眠時や安静時の二酸化炭素量はほとんど変化がない。それどころか高所では、気圧の低下によって酸素と一緒に二酸化炭素も少なくなってしまう。本当は酸素が必要なのに、体はそれを認識できない。特に意識のスイッチを切ってしまう睡眠中は呼吸が浅くなったり、時には無呼吸に陥ったりする。高所で睡眠から起床にかけて高山病になりやすいのはこのためである。
 ただいま、僕の体は低酸素環境独特の気だるさにつきまとわれている。呼吸は苦しくなくても、なにをするにもおっくうになったり、靴ひもを結ぶのに息が切れたりする。ここでは普通の生活がトレーニング。こうやって酸素が少ないことを体に認識させていく。数日もたてば体が慣れ、不快感も軽減するのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?