見出し画像

できぬ理由考えるより・・・

2015年1月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 フリースタイルスキー世界選手権は2年に1度、モーグルなどの世界王者を決める大会だ。選手には五輪選考同様に大きなプレッシャーがかかる。
 こうした状況を見ていると、僕が出場できたリレハンメル五輪の代表選考会の時のことを思い出す。

 当時、北米で行われた予備予選を勝ち抜いた僕は残りの1枠をかけた3人の中に残っていた。
 五輪はカナダと米国で行われるワールドカップの成績で選出される。そのため少しでもいい成績を残そうと力んで、カナダ戦では無理にエアを飛び過ぎた。ゴール寸前で大転倒、その衝撃で右のふくらはぎを強打、筋膜内出血というケガを負った。
 結局、試合は後ろから数えた方が早いような成績だったが、他の選手もミスが目立ち決定的な結果はだれも出せなかった。僕は失敗に加え、筋膜内出血という大きなハンディキャップを背負った。

 次の試合、公式練習が始まっても僕は毎日病院通い、治療を続けていた。足を着くだけでも痛い。いよいよダメかと思い、両親に余計な期待を抱かせないよう、病院の帰りに電話ボックスから近況を伝えることにした。
 最初に出た母が「そんなに無理をしないで・・・・・・」といいかけたその時、受話器は父に奪われ、こう言った。「足は折れていないんだな、それだったら最後まであきらめるな」。なんと理不尽なことを言うのだろう、とそのとき思った。
 激痛がはしる足で、選考をあきらめざるを得ない状況を理解しない父に腹が立ち、受話器をたたき付けるように電話を切った。ついでに電話ボックスを蹴った。その足が痛い方の足だったので跳び上がるほどだったが、考えてみると「蹴ってもこの程度か」。
 そこでひょっとしたらと感じ、スキーブーツを改造することにした。一晩かけ、なるべく痛い箇所に圧力がかからないよう分散した。それでも痛みが残り、とても上位を望める滑りは期待できなかったが、その試合をどうにか完走することができた。

 ところが、その試合で他の2選手はまさかの大きな失敗をしてしまい、結局2試合の成績を考えると僕が一番良かった。
 父は日ごろから「できない理由より、できる理由を考えろ」と言っている。もしあの時あきらめていたら僕の人生は大きく変わっていたことだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?