見出し画像

スキーチームが50周年

2016年12月3日日経新聞夕刊に記載されたものです。

 先日、スノードルフィンスキーチーム(以下ドルフィンズ)の50周年を祝うパーティーが札幌パークホテルで参加者・ゲストを合わせて総勢380人集まり盛大に行われた。
 父、三浦雄一郎が1963年にエバニュースキー学校の代表として始めたので、正確には昨シーズンで53シーズン目ということになる。これは同じ代表が務めるスキー学校としては最長のようである。

 ドルフィンスキースクールに関してよく聞かれるのが、「雪山なのになぜ、海のイルカであるドルフィンなのか」である。これに対して雄一郎は「鳥が自由に空を飛ぶように、イルカが海を自由に泳ぐように、自由に雪山を滑りたい」という思いからつけた名前だと説明している。
 父がスキーヤーとして行ってきた挑戦の多くはスキーの枠を超えてきた。日本初のプロスキーヤーとしてイタリアのキロメーターランセに出場し世界スピード記録の樹立、富士山直滑降、エベレスト大滑降をはじめとした世界7大陸からの滑降、エベレスト世界最高齢登頂等。これらの挑戦は多くの人々の情熱に火をつけ、その生き方に影響を受けた若者の受け入れ先としてドルフィンズがあった。

 彼らとの付き合いは長い。札幌にあるテイネハイランドスキー場(現在はサッポロテイネ)には寮があり、幼い僕も冬場はスキー場で彼らと家族同様に過ごした。彼らの印象はよく飲みよく騒ぐ人たちだった。留守がちな父に代わり僕の運動会にこぞって参加してくれたこともある。友達からは「ごんチャンの親戚はにぎやかだね」とよく言われたものだ。
 彼らのスキーの腕前は一流である。父を目指す彼らのスキーは型にはまらない。フリースタイルスキーが競技になる以前からそのスタイルで滑り、現在のバックカントリースキーがブームになる以前に未開の斜面を滑るのがドルフィンズの流儀であった。
 こうして自由で過激なスタイルのスノードルフィンズビデオが1990年代、コンビニ販売で一世を風靡したこともある。また父の遠征をサポートしてくれたのも彼らであり、父の精神を最も色濃く受け継いでいるのがドルフィンズチームであろう。

 強い結びつきは変わらず、50年の歴史を刻んできたメンバーが今回も多く集まった。その後の初滑りも兼ねた50周年は寝る間も与えてくれなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?