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父を撮り続けた心友

2014年11月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 大滝勝さんは日本の草分け的な冒険カメラマンだ。「東京映像社」を立ち上げ、数々の山岳冒険、海洋冒険、モータースポーツ映像を撮影、企画した。
 三浦家とは40年来の家族ぐるみの付き合いで、これまで父が行った7大陸最高峰滑降を含め最近のエベレスト登山もすべて一緒に取り組んだ。その大滝さんが今年9月に亡くなり、先日多くの日本を代表する冒険家が集まり偲ぶ会で別れを惜しんだ。

 大滝さんはいつも遊び心を忘れない反面、仕事にとても実直な人だった。父の名前を世界的にとどろかせた「The Man Who Skied Down Everest」の記録映画で父と共にサウスコル(8000㍍)まで登り、父がローツェフェースから滑降したシーンをカメラに収めた。この映像はその後にアカデミー賞ドキュメンタリー部門に輝いている。
 南極では南極大陸最高峰ビンソンマシフに登る前、スキーシーンを撮ろうと大滝さんは父と一緒に付近の山を登り、カメラを構えた。父が斜面を横切ると斜面全体が崩落した。表層雪崩である。轟音とともに崩れる斜面に、一瞬カメラは父の姿を失うが、すぐに巻き込まれている様子を捉えた。最後は父が無事に雪崩の表面に出て手を振るが「一歩間違えば・・・・・」とも思える息を呑むシーンだ。最後の最後まであきらめない父とそれを冷静に記録に納めた映像に二人の信頼関係の大きさがうかがえた。

 そんな大滝さんの仕事へのこだわりを垣間みたことがある。父が70歳でエベレスト登頂を目指したとき、強風のため3日間も登頂前にビバークを余儀なくされた。同じ時期、大滝さんはシェルパと共に対岸の山、カラパタール(5545㍍)のテントにこもり、いつ登るのかも分らない僕らのために天体望遠鏡ほどもある大きなカメラを構え、寒さと希薄な空気に耐えながらの登頂シーンを収めてくれた。
 そこに描かれている山頂は巨大なエベレストのスケール感を表現していて「70歳のエベレスト」の映像を際立たせてくれた。

 大滝さんは「雄ちゃんほど一緒に仕事をしていてやりがいのある人はいない。何せ雄ちゃんはやるといったら必ずやり遂げるんだから」と話した。そんな父の息子である僕は大滝さんに幼い頃からかわいがられ、いつも人生の大きな節目では親身になって相談に乗ってくれた。僕の永遠の人生の恩師である。

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