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冒険の理由

2019年3月30日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 1月、南米の最高峰のアコンカグアに挑んだ僕たちの遠征は強風によって停滞し、僕の父、三浦雄一郎の心臓のコンディションを危惧した山岳医の大城和恵先生がドクターストップをかけた。副隊長だった僕は医師の判断に従うように父を説得した。父の頂上への思いは非常に強く、この説得には全身全霊を込めなければならなかった。長い沈黙の後、父が言った。「豪太たちだけでも頂上に行ってくれ」
 僕は父の言葉に従いアコンカグアに登ったが、その間、あんな形で父を山から下ろしたことをずっと気に病んでいた。冒険と父の命とをてんびんにかけたことが、ひどくおこがましいことに思えた。父が落ち込んで気力を失うのではないかという心配もあった。

 本稿をもって、2008年の年頭に始まった「三浦豪太の探検学校」を閉じることになった。この11年間で僕は多くのアスリート、研究者、登山家、実業家にインタビューを重ねてきた。それぞれの人物がそれぞれのジャンルの冒険家であった。扱った話題は幅広く、時に専門的でもあったが、インタビュアーの僕はずっと1つのことを問い続けてきた気がする。それは「人はなぜ冒険をするのか」という問いである。
 この疑問は、僕が冒険家の父を持つことに起因しているのだろう。父は自分にも家族にも大きな負担を強いながら冒険を続けてきた。なぜそこまでするのか。この連載は、その答えを求める長い旅であったのかもしれない。

 本欄を閉じるにあたり過去の掲載例を見直して、ふと一本の記事が目にとまった。08年8月2日掲載。亡き祖父、三浦敬三の思い出を記したもので、見出しに「気力 夢あればこそ」とある。記事中、僕は100歳を越えても周囲の心配をよそにスキーの研究に励んだ祖父を評した父の言葉を紹介していた。父はこう言ったのである。「(祖父は)無茶でなく夢中なんだ」と。そうなのだ。冒険者たちはみな「夢中」なのであり、それこそが冒険のエネルギーなのだ。

 アコンカグアを下りても、父は冒険家のままであった。気落ちするどころか、下山するとすぐ「90歳になったらエベレストに登る」と宣言し、僕を安心させてくれた。父の、そして僕の旅は続くが、本欄におつきあいくださった方々への感謝とともにここで筆をおくことにする。11年間、ありがとうございました。
                            (おわり)

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