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田部井さんの死を悼む

2016年10月29日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 田部井淳子さんと父(三浦雄一郎)は仕事柄一緒になることも多く、田部井さんの長女、長男ともにミウラ・ドルフィンズのスキースクールに通っていた。又僕の結婚式にも参列してくれた。

 田部井さんの山に対する思いを小学生向けの講演会で聞いたことがある。初めて山に登った茶臼岳の思い出を生き生きと語っていた。山肌や中腹に露天風呂が突然現れて、その湯煙に驚いたことなど、面白おかしく山の魅力を語るその姿に僕もすぐにでも山に登りたくなったのを覚えている。
 「山ではトイレは大事よ」と子供目線で真剣に語りかける。「なんて素朴で魅力的な人だ」と思い、同時に「この人が本当に女性として世界で初めてエベレストに登ってよかった」と心から思った。

 田部井さんの名声は日本よりもむしろ海外でのほうが高いように感じる。田部井さんが亡くなった翌日シェルパの友人からそのことについて電話があった。どうやらカトマンズポスト(ネパールの新聞)にも大々的に取り扱われていたらしい。調べてみると欧米ではBBC、CNN、ABCなど多くの主要なメディアが田部井さんの訃報を大きく扱った。

 三浦雄一郎が70歳でエベレストに登った2003年は、ちょうどエベレスト初登頂50周年にあたる年であった。登頂して間もなく、父は観光局の要請によりすぐに下山、50周年の式典に招かれ僕も同行した。この時、田部井さんとエベレスト世界初登頂のエドモンド・ヒラリー卿がともに国賓として招待を受けていた。その後、13年の80歳の登頂のときも60周年式典に同じく国賓としての扱いを受けていた。
 彼女が残した功績は計り知れない。それまで男性中心の山岳会に女性だけのメンバーを率いて1970年にアンナプルナⅢ峰を登頂、そして75年にはエベレスト登頂に成功する。当時、欧米諸国から日本人は女性を軽視しているとみられていたが、田部井さんは日本女性のイメージを大きく変え、さらに世界中の女性に新しい可能性の扉を開いたのだ。

 前述の講演の最後に田部井さんは「山の素晴らしさは一つの山に登ると次の山が見えること」と話した。その言葉通り、田部井さんから毎年届く年賀状には病にくじけず世界の山を登り続ける田部井さんの意気盛んな姿が見られた。
 心からご冥福をお祈りいたします。

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