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ネパール高所合宿の成果

2017年10月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 ネパールのナムチェバザールでの合宿の終盤、父の三浦雄一郎は85歳の誕生日を迎えた。数十年来のつき合いがあるシェルパや、日本からトレッキングに来ていた友人たちと合宿の打ち上げをかねてお祝いをした。長期にわたった今回の合宿は、体力的にも精神的にもきついものだった。気を緩めた父の顔を見るのも久しぶりだったように思う。

 トレーニングの三大原理というものがある。過負荷の原理(普段よりも強い運動を行うことによって鍛えられる)、可逆性の原理(トレーニングをやめると元に戻る)、特異性の原理(鍛え方によって効果が変わる)。これらに加えて、高所でのトレーニングはあまり知られていないもうひとつの原理がある。それは高度順化の原理。どんなアスリートでも3000㍍を超える高度では、最初にゆっくりとしたペースで高度順化の期間を設けなければ、その後のトレーニングで高山病になったり回復が難しくなったりするのだ。
 そのため今回の合宿ではトレーニングを3段階に分けた。最初は標高2700㍍のルクラから3450㍍のナムチェに行くこと、次がナムチェでの高度順化、最後はそこでより高度なトレーニングを行うことだ。

 こうしたプログラムは5月に鹿屋体育大学の山本正嘉教授の指導下で行った体力測定に基づくもので、この時、トレッドミルを使って測った父の登高スピードが指標となっている。運動生理学において、垂直方向の移動は水平移動に比べて30倍のエネルギーを使うとされる。それを踏まえて1時間に登る標高差を運動負荷に換算する。父の場合、標高0㍍で継続可能な登高スピードは毎時300㍍ほど。標高3000㍍以上のナムチェでは酸素が少なく、その8割程度の力しか出せないので、240㍍の登高スピードを目安として登る。
 下りでは普段使わない速筋繊維をブレーキとして使う。登山には上りも下りも独特の体力が必要で、長時間にわたって下降するための筋肉もまた登山をすることでしか鍛えられない。登山の為の最も効果的なトレーニングとは、登山をすること。その意味で登山とは、特異性の原理を免れえない行為といえる。

 合宿の最後にはナムチェから4200㍍のクンデピークまで登った。標高差は800㍍。昨年このルートを登った時は2日を費やしたが、今回は8時間ほどで往復できた。父がもらった一番の誕生日プレゼントは、体力をつけた自信かもしれない。

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