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ヤクの働きと尻尾の毛

2017年6月3日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 この春の遠征先となった、ネパールのコンマラでの出来事。標高4500㍍近くの草原で僕たちが途中休憩をしていると、黒々とした巨大な生き物が茂みから現れた。北海道育ちの僕はとっさに「クマだ!」と叫んでしまった。しかし、ヒマラヤの高所のこと、それはクマではなく地元のヤクであった。このことで父の雄一郎や同行スタッフ、シェルパからも遠征中ずっとからかわれる羽目になった。

 ヤクは高所に適応したウシ科の動物である。毛は長く、立派な角が生えている。高所に適応しすぎて、標高3000㍍以下では生きられないともいわれている。その昔、もとは野生種だったヤクをチベット人(シェルパの祖先)が飼いならし、彼らがネパールに越境した折に一緒に連れてきた。それがヒマラヤのクンブ地方で家畜化したということだった。

 ヤクは荷の運搬や農耕において重要な役割を果たす。僕たちのような遠征隊にとってもヤクの荷運びは貴重な助けとなる。今回の遠征では5頭のヤクを使って移動した。面白いことにヤクの担ぐ荷の量は季節によって違う。春の荷は30㌔ほどだが、秋になると50㌔の荷を担ぐ。春先のヤクの働きが悪いのは、越冬した後で餌が十分ではなく、弱っているためだという。
 ヤクの雌をナクと呼ぶ。シェルパ達はナクの乳でチーズやバターを作る。ナクバターの入ったチベット茶などなども有名である。またヤクの出す糞は家の補強に使われ、干せば燃料にもなる。多様な価値を生むヤクは、チベットでは財産として扱われ、嫁を迎えるときの結納品として相手の家に送る。

 このようにシェルパの生活に深く根づくヤクであるが、実は日本の戦国の世に結びつく逸話がある。
 徳川家康がまだ三河の領主であった頃、功のあった家臣の本多忠勝をたたえて歌われた「家康の過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」という落書きは人の知るところ。唐の頭とは、カブトや槍の装飾にヤクの尾毛を施したものをいう。一国の領主にとどまる当時の家康が、中国に生息する珍しいヤクの毛を自分だけではなく家来にも用いさせていたことに由来する。ヤクの毛の装飾には様々な色合いがあり、黒毛を黒熊(こぐま)、白毛を白熊(はぐま)、赤毛を赤熊(しゃぐま)と呼んだ。もちろん熊の毛並みに似ているからこのような言い回しになったのだろう。僕がヤクを熊と間違うのも無理のないことである。

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