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モーグルと能楽の所作

2018ネン4月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 現在、フリースタイルスキーには5つの種目がある。モーグル、エアリアル、スロープスタイル、ハーフパイプ、そしてスキークロスである。スピードを競うスキークロスをのぞけば、すべて技の難易度や完成度、美しさを競うジャッジスポーツだ。

 僕の場合は、コブ斜面を勢いよく滑り降りてジャンプを決めるモーグル競技に夢中になり、冬季五輪の2大会に出場した。モーグルのターンは、激しい起伏の中でもスキー板が雪からはなれないスムースな接雪技術、激しいコブの突き上げにも負けない安定した上半身がハイスピードの滑りの中で要求される。
 世界レベルの競技ともなると、さらに効率よく力強く、それでいて柔軟なターン技術を身につけなければいけない。鍛錬によって出来上がった一流のモーグル選手の滑りは、どの瞬間を捉えても美しいフォームをしている。
 これはモーグル選手に限ったことではない。突き詰めると、どの種目においてもどの時間を切り取っても、一流選手のパフォーマンスは美しいと思う。

 平昌五輪の開幕前、友人に国立能楽堂で行われる能楽を見に行かないかと誘われた。これまであまり能に親しんだことはなかったが、フリースタイル種目のテレビの解説の仕事を請け負っていた僕は、何かの参考になるのではないかと思い、招待に応じることにした。
 その日の演舞は「鉢木」であった。シテの佐野源左衛門常世を演じるのは重要無形文化財「能楽」保持者に認定されている友枝昭世氏。能が始まると、その舞に釘付けになった。上半身がピンと立ち、中腰であるがその腰が安定している。その姿勢のまま回り、移動するときに上半身が一切ぶれないのだ。彼の周りだけ、重力が遮断されているようにさえみえる。
その所作と舞台全体が、どの瞬間を切り取っても一幅の絵のようだった。まさに一流の証である。そして友枝氏が崩すことのなかった中腰の姿勢こそ、一流のモーグル選手の基本フォームなのである。

 能の前身である薪猿楽は建長7年(1255年)に行われた記録がある。最初は諸神を迎えるための神事として行われたのが始まりとされ、歴代の大名や将軍家がたしなむ芸事として美の追求がなされてきた。モーグルにはよい動作を求めた結果として、能には長い歴史を経た集大成として、今の美しい所作がある。そこに共通項があることに驚いた。

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