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見えなくても登れる

2015年6月27日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 先日、以前にも紹介したダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)のガイドと友人数人で山梨県の大菩薩嶺(2057㍍)に行って来た。DIDとは完全に光源をゼロにして作られた空間で、そのガイドは視覚障害者ではあるが、暗闇では誰よりも頼りになる。
 実はDIDの方々を登山に誘ったのは今回が初めてではない。3年前、神奈川・逗子の里山登山に一緒に登った。彼らは好奇心旺盛で明るく楽しい。この時は9キロほどの行程であったが「これでも短い」と言っていた。

 今回の大菩薩嶺は1泊2日の登山だ。前回よりも長く厳しい登山のため、ちょっとした工夫を考えた。視覚障害者の感覚は鋭く、先導者の障害物のアドバイスや先導者の動きを敏感に察知して進行方向の上下左右を判断している。
 これまで先導役は彼らの手を取って登っていた。しかし、この方法だと先導する方は斜め後ろを向かなければいけない。そのため指示する箇所も視覚障害者が歩く場所も、先導者よりも若干左右にずれてしまう。そこで僕は途中から先導者のバッグ中心部にヒモをつけて、それを彼らに持たせた。
 この単純な工夫で先導者の指示にズレが少なくなり、彼らは自身の白杖(はくじょう)を使って微調整しながら、的確に足を運んだ。その後は毎時300㍍、つまり健常者と同じペースかそれ以上で登る。登山路には至る所に根っこや石など様々な障害がある。バリアフリーとは言えない環境を彼らは「楽しい!」と言った。

 上日川峠を越えて間もなくブナ林の中を歩く。彼らの一人が「森の間隔が広がった感じがして、森の香が濃くなったみたい」と言う。陰樹であるブナは日の光がなくても大きく育つ。そのため古いブナ林はブナが太陽を覆い他の植物が育ちにくく、木と木の間隔が広くなる。こうした森には木々が発する森林浴の元、「フィトンチッド」(殺菌作用とリラックス効果)が多い。普段の山登りで何気なく通り過ぎる景色も彼らの感覚を通してみると考え深い。 

 介山荘に1泊し翌日、森に囲まれた大菩薩嶺の山頂にたどり着いた。自分の足でたどり着いた達成感に大きな笑みがこぼれていた。登山の本質はその過程にある困難を越えることにある。そう考えると視覚障害はそれほど大きな障害とは思えなくなった。彼ら以上に得るものが大きかった登山だった。

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