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世界一ぜいたくな景色

2012年5月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 ヒマラヤ山中、標高3880㍍地点に40年前に建設されたその名も「ホテル・エベレスト・ビュー」からは、夕方、周りの山々に影が落ちてもエベレストだけが最後まで赤く染まっているのが見える。手前のローツェとヌプツェの稜線の奥に位置するエベレストは遠近法で低く感じるが、最後まで夕焼けに照らされていることが世界一の高さの何よりの証拠なのだ。

 全ての部屋から眺められるエベレストは、刻々と表情を変える。ここではテレビもインターネットも必要ない。壮大な景色こそが最高の楽しみであり、世界一のぜいたくなのだ。ガイドの仕事で4、5月と2度もこのホテルに滞在する幸運に恵まれた。
 過ごし方は様々だ。近くの4000㍍級のピークを目指すのもよし、麓の村へ下りてヒラリー卿が建てた学校やイエティの頭皮をまつる寺院を訪ねてみるのもいいだろう。僕はホテルの創業者である宮原巍(たかし)氏が書いた「ヒマラヤの灯」という著書を読みながらひとときのんびり過ごした。2度目の訪問のとき、砂糖をたっぷり入れたミルクティーを片手に夕暮れに染まる山々をバックに本を開いた。最初はその状況に酔いながらも次第に本の内容に引き込まれていった。

 そこには宮原氏がこれまで人生で行った山岳遠征の数々が描かれ、冒険に魅せられた延長線上がホテル・エベレスト・ビューの建設であったと記されていた。そしてその道のりはどの冒険よりも困難を極めた。建設の理解を得ること、資金調達、仲間集め。当時、歩いて10日以上もかかるカトマンズから全ての資材を徒歩で運び込まなければならない。地元のシェルパと協力しながらの岩盤の掘り出し。厳しいヒマラヤの環境と内面の葛藤に翻弄されながら、5年の歳月をかけてホテルが完成した。

 トレッキングブームとなった今でこそ近隣でも宿泊施設の建設ラッシュとなったが、それもこの数年ほどのこと。40年前、ここにホテルを建てようなどというのは無謀に等しかった。本を読み終えて周りを見渡すと、壁に切り取ってある石の一つ一つに苦労の跡が深く刻まれているのを思い知った。
 ホテル・エベレスト・ビューから下りた後、カトマンズに宮原さんが迎えに来てくれた。78歳の彼はポカラのサランコットの丘にホテルを建設する計画を少年のように目を輝かせながら話してくれた。

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