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ネパール支援の旅

2015年12月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 先週、ネパールのホテル・エベレストビューツアーから帰ってきた。

 カトマンズに滞在した初日、いつも僕たちの遠征を現地で仕切ってくれるプラビン・ケーシーにこれまでミウラベースキャンプが集めたネパール大震災義捐金とそれを配るリストを手渡した。そのリストにはこれまで僕たちのエベレスト登山を手伝ってくれた約50人のすべてのシェルパが載っている。その多くは山岳地帯でも被害が大きかったターメとロルワリングのシェルパだ。ブラビンは「確実にみんなに渡るようにする」と固く誓ってくれた。
 世界最高所にあるホテル・エベレストビューまでの道のりは意外とすんなり進んだ。ルートはしっかりと整備され、むしろ以前よりも歩きやすかった。
 持参した浄水器は、サンタ・ミネラルが技術者として派遣してくれた夏沼氏がシェルパの里、ナムチェバザールの病院に設置してくれた。この浄水器は電気を一切使わず、内在するミネラルが水を高アルカリ化することにより水を浄化できる。浄水器を設置できたのはヒマラヤ観光がツアーとして成立してくれたおかげである。80キロ以上もある浄水器をツアー客全体の荷物として分散して運んでくれた。

 その後、ツアーはホテル・エベレストビューまで無事に到着、宿泊した。そして翌日、ツアーのハイライトであるクンデピーク(4200㍍)に登頂することができた。山から帰ると女性が僕を待っていた。彼女はチュワンニマの妻であった。チュワンニマは2003年、ミウラエベレスト遠征隊のクライミング・シェルパだった。しかし10年、米国が編成したバルンツェ隊のルート工作中、雪崩に巻き込まれて亡くなった。 
 ブラビンに渡したリストには過去にミウラ隊と関わったすべてのシェルパが含まれ、亡くなったシェルパにはその家族に手渡すように伝えてあった。ブラビンはすぐに全員に連絡をとり、その旨を伝えてくれたようだ。彼女はホテル・エベレストビューから3時間も離れたタモから歩いて感謝の祈りをささげてくれた。 

 15年も終わろうとする今、今回の旅はこれまでネパール大震災以来、僕の胸に重くのしかかっていた思いを少し下ろすことができたような気がする。気分を一新して来年を迎えることができそうだ。

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