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北海道地震に直面して

2018年9月22日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 母が札幌に住んでいて、北海道地震の直後は安否が気遣われてならなかった。震源地に近い苫東厚真火力発電所が緊急停止し、これにより電力の需給バランスが崩れて、ほかの発電所も連鎖的に停止して北海道全域がブラックアウトした。
 母が住んでいるのは札幌市中央区のマンションの8階だった。停電でエレベーターも使えなくなり、足の悪い母は外に出るのも苦労した。 
 電車も飛行機も不通となり、心配した僕たち家族は唯一運行していたフェリーで母を東京に連れてくる手段を思案した。しかし、楽天的な母は「そのうち電気はもどるわよ」といってフェリーには乗らず、友人宅に数日世話になっていた。

 地震から1週間がたった。交通手段が復旧したので僕は母を訪ねようと思い、必要な物はと聞くと「納豆が不足しているから買ってきて」。北海道の大手納豆メーカーも停電で稼動できず、全道的には納豆の品薄状態が続いていた。僕は納豆を50個ほど買いこんで北海道へ飛んだ。
 地震の被害は全道的な停電にとどまらず、厚真町では大規模な土砂崩れがおき、多くの犠牲者がでた。また札幌市清田区では液状化現象が家屋倒壊や道路陥没の被害をもたらした。 

 小学生のころから札幌に住み、スキーに親しんだ僕は、北海道は災害に強い土地というイメージを抱いていた。なにしろ札幌は人口200万人の大都市でありながら、1年で累積5㍍の雪が降る。それでも、みんなたくましく生活している。東京で同じだけの雪が積もれば、これは一つの災害となるだろう。
 しかしその半面、考えてみれば、北海道にいて地震や台風を体験したことはほとんどない。想定していれば対処もできるが、災害というものはそれを上回る「想定外」となったときに起きる。温暖化に伴う想定外の気象現象はこれからも増えるだろうし、また新しい活断層が発見されるかもしれない。

 今回の地震は温暖な季節でまだ助かった。もしも真冬の北海道に停電の日が続いたらと思うと背筋が凍る。同時に、都市機能の弱点というものは、実際の被害に直面してみないとわからないことが多いのだと再認識させられた。犠牲になった方々の冥福を祈るとともに、避難生活を送っている方々が一刻も早く普段の生活に戻れるように願っている。

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