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アコンカグアでスキー

2019年2月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 今回のアコンカグア遠征の目的は登頂だけでなく、親子でスキーを履いて山頂付近を滑ることだった。
 だが父の三浦雄一郎にドクターストップがかかり、その目的はかなわなかった。ヘリコプターで下山した父をニド・デ・コンドレスのキャンプ地で見送った翌日、僕たちは頂上に立った。標高差1500㍍を一気に登り、またニドまで下りる過酷な道のり。山頂付近のスキーどころではない。戻ったときは精根尽きていた。 ところがニドで酸素をゆっくり吸って、ひと晩、体を休めると、僕は自分が十分に回復していることを実感した。登頂翌日の1月22日。遠征隊は標高5500㍍のニドから同4200㍍のプラサ・デ・ムーラまで下り、そこからヘリコプターで下山した。その途中、ところどころに雪があったので、せっかくだからスキー滑走で山を下ることにした。

 僕にとって登山とは、苛酷な環境でのクライミングであり、一つの「挑戦」である。けれども不思議なもので、ひとたびスキーを履くと、それが「遊び」に変わる。つらさよりも楽しさが先に立つ。
 もっとも、これほどの高所となると楽しいばかりではない。酸素は低地の半分以下。雪もいい状態ではなかった。いまの季節は寒暖差が激しく、昼間に解けた雪が夜にはカチカチに凍る。滑りはじめた場所は登山道沿いで、雪面は無数のブーツあとでガタガタ。しばらく滑ると、この地方特有の「ペニテンテス」と呼ばれる逆さつららが地表に顔を出す。剣山のように細かい氷が上向きにいくつも突き出ていて、エッジがひっかかる。ジャンプターンで方向転換をするたびに息が切れ、5ターンもすると目がくらみそうになった。

 どうにか氷河を乗り切り、標高差にして500㍍ほどの滑走を終えた。優雅な滑りとはいかなかったが、この数日のもやもやしたものが吹っ切れた気がした。父を下山するように説得し、一度は酸欠で倒れながらもどうにか登頂を果たした。アクシデント続きの慌ただしい時間を過ごしながら、自分がストレスをためているのにも気づいていなかったのだろう。僕はスキーヤーなのだ。そのことをあらためて自覚した。

 今回の遠征は、当初思っていたようには進まなかった。それでもみんなが無事に下山し、最後にはスキーもできた。生きているからこそ次の挑戦がある。やり残したことがあるから、また戻ろうと思う。山と仲間たちに感謝しながらアコンカグアを後にした。


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