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停滞を楽しむ

2017年9月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 僕たちミウラ・ドルフィンズが神戸YMCA、サントリーとともに瀬戸内海で開催しているアドベンチャーキャンプは今年で10年目になる。小学3年生から6年生の子供達が小豆島南西の余島をカヌーで出発して9㌔離れた無人島の葛島に渡り、そこで2泊するカヌートリップキャンプである。このルートになって7年目、これまでも大変なことは多くあったが、今年は特に苦労が多かった。

 2日目、例年どおりに余島から葛島に向かってカヌーを漕いだ。しかし途中、風と海のうねりが激しくなり、やむなく中断。翌日も強風はおさまらなかったためプログラムを変更し、小豆島にある高見山に登ることにした。最初は急な変更に文句を言ったり、戸惑ったりしていた子供達も山頂から余島を眺め、茹でた芋を食べると笑顔になった。これまで食べた物の中で一番おいしいという子までいた。
 山頂にいるうちに風が若干おさまってきたように感じられた。小豆島本島の木香の浜であればカヌーを漕いでキャンプができるぞ、という話になり、一同は喜々として早々に下山して余島に戻った。
 しかし戻ってみるとまた強風が吹き出した。夕方までに風がやむことを信じていたが、タイムリミットになっても風はおさまらず、出航を断念した。
 カヌートリップを楽しみにしていた子供達に中止を伝えるのはつらい。目に見えて落胆するのがわかる。僕自身、これまで冒険が中止になったり、足止めを食ったりしたことが多くあり、そういう体験を子供達に聞かせることにした。

 2003年のエベレスト登山は強風に見舞われ、標高6400㍍のキャンプ地から一歩も進めなくなった。外の様子を見ながら5日を過ごした。
 僕は当時70歳だった父の体と精神状態を心配していた。3日目、父は貴重な食糧であるパンをちぎって外に投げている。ついにおかしくなったかと思ったら「わしは世界で初めてヒマラヤで手乗りスズメを育てようとしているのだよ」。スズメはこの高度でもパンをついばみに寄って来る。見ると、たしかに徐々に父に近づいているようだ。父はこの足止めを楽しんでいた。目的を失いそうになった時、停滞の時間を楽しめるかどうか。冒険家に最も必要な資質を、このキャンプは10年目にして初めて子供達に伝えることができたのだった。

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