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アスリートファースト

2016年11月5日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 今、東京五輪に向けて都政がゆれている。築地市場移転、五輪会場の見直し等、五輪開催とその後の五輪施設の有効利用について、おそらく世界で初めて具体的に開催都市と国際オリンピック委員会(IOC)がそのあり方について議論を交わしているのではないか。僕は五輪とスポーツについて考えるよい機会だと思う。
 僕自身、2度の冬季五輪に出場したアスリートの経験があるが、東京五輪開催について私的な意見をこの場を借りて書いてみたい。

 最近よく聞かれる「アスリートファースト」。それは選手がそのパフォーマンスを遺憾なく発揮できる環境を指す。これが保たれるには選手の「公平性」と「安全性」が保たれることが重要だ。公平性はそのスポーツがルール化されて発展し、五輪種目になるまでの経緯を考え、国際基準に則った施設と運営が確保されることだ。
 安全性に関しては五輪は世界最大のスポーツの祭典でありメッセージ性が強い。それゆえテロの標的になりやすいという側面を持つ。選手もそれを見る観客も安全が保たれる施設造りが望まれる。
 ただ五輪施設を実際に作ろうとしている現在、当初の想定額を大きく超え、さらに毎日のように億単位の額が増減している。財源が違うことを理解した上でのことだが、この何十分の一でも選手の強化と育成に充てられないのかと思ってしまう。

 アスリートファーストの概念はその運営のあり方も問われる。例えば五輪のIDカード(五輪会場入場許可証)について。五輪選手は出場に至るまで支えてきた多くのスタッフがいる。IDはそれぞれの競技団体が申請して得るものであるが、過去の五輪ではIDが選手のサポートフタッフに十分に行き渡らず、見たこともない役員の首からぶら下がっているケースが多く見られた。
 競技開催時間も問題になる場合が多い。2014年のソチ五輪では男女スキージャンプ、男女モーグル共に決勝時間は現地時間で午後11時を回っていた。冬期の深夜は寒くて選手本来の力を出しにくい。明らかにこれはメディアの都合によって調整された結果だ。五輪で本来の力を発揮できなかったり、思わぬ失敗をすると「五輪には魔物がすむ」とよく言う。開催都市がその魔物になってはいけない。

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