見出し画像

覚悟新たに初詣へ

2013年12月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 2013年も残すところあと3日となった。元旦恒例の初詣で、札幌の手稲山山頂にある手稲神社に行く予定だ。毎年のことなのに、今年の参拝は決して心穏やかではいられなかった。
 春にエベレストに出発するのだが、13年が明けたこの日、父雄一郎の不整脈は収まっておらず、エベレストに向けて万全の体制とは言い難かった。加えて、妻も身重で予定では子供は僕が遠征に行っている間に生まれる。手稲神社の神前でいつもより長く手を合わせていたのを覚えている。

 春になり、長女はエベレストアタック開始2週間前に無事生まれ、そして5月23日、ついに父と僕はエベレストの頂上に立った。決して楽な登山ではなかった。父は極度の疲れと低血糖から一時は自力下山は無理だと思ったほど。しかしシェルパや日本で応援してくれた人々に支えられ無事キャンプ2まで下りることができた。
 精も根も尽き果て、泥のように眠ったが、朝起きてもまだ前日の疲れは深く残っていた。父に「調子はどう」と聞くとガラガラ声で「これほど疲れたことはない」と答えた。そして少し間をおいてから「エベレストは3回も登ればもういいな」と話した。

 父が、今回の登頂で本当に十分やりつくしたと思ったのか、その言葉に僕自身ほんの少し寂しい気持ちになった。しかし、同時にこれまで10年以上にもわたって縛り付けられてきたエベレストの呪縛から解放された気持ちも大きかった。
 そのうれしさから僕は冗舌になり「次はもっとスキーができる計画を考えよう」と積極的に冬のプロジェクトについて話し始めた。すると父は突然「いい考えがある」といった。父の「良い考え」は相当な覚悟を持って聞かねばならぬ。僕が身構えていると、父は「チョオユーをスキーで滑ろう」といった。チョオユーは以前、父と登ったことがあるエベレストの対岸に見える山で、標高8201㍍、世界第6番目の8000㍍峰である。その山頂からスキーで下りるということは、エベレスト登頂以上に過酷である。これを5年後、父が85歳の時にやろうというのだ。

 父は5年刻みというのは良い周期であるという。「最初の2年休んでも、次の3年頑張ればどうにかなる」。そんな父のついていく覚悟を新たにするための来年の初詣に向かうのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?