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「年寄り半日仕事」の実践

2013年6月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 2013年5月23日、三浦雄一郎は80歳7カ月で世界最高峰のエベレスト山頂に立った。その後、C2(6500㍍)からヘリコプターで下り、2日後には飛行機で帰るといった慌ただしいスケジュールの中、まるで浦島太郎になったような気持である。

 今回のプロジェクトで成功の秘訣を聞かれることが多いが、最近のエベレスト登山には行われていない多くの新しい試みがあった。
 一つは父がテーマに上げた「年寄の半日仕事」である。これは昔から日本に伝わる言い回しのようで、父が口にして初めて知った。昔から日本の農家では年寄りは半日、仕事をして残りはのんびりして過ごすということを実践していたようで、これを今回の遠征で終始、行った。トレッキング、高度順化、アタックのすべての日程を半日刻みにすると、1日の高度変化が、500㍍以内に収まることになる。
 これは高度順応を生理学的にみてもとても理にかなっている。実際、今回のトレッキングからアタックまで高度障害が全くと言っていいほど出なかった。

 もう一つの取り組みは、父の体力を考え、酸素を使って仮想的に標高を3000㍍程度まで下げたことである。これまで高度順応を行った後は標高4200㍍にあるディンボチェという村に下りて体を休めた。十分に酸素が濃いところで体を休めアタックに備える。しかし、この方法だと再度、標高を上げるとき、体力を使うのと、標高を下げて下の村に行くことによって風邪などを引いて体調を崩すかもしれない。それを最新式の酸素吸入器、酸素パルスドースシステムを使い、血中酸素を高めた。父は僕たちが高度順化をしている間、ペースキャンプにいてこれを使い逆に酸素を摂取して体力の回復を図った。父が呼吸するのに合わせて酸素が鼻に排出され、必要な量だけ酸素が出るのでとても経済的であった。

 またC4(8000㍍)とC5(8500㍍)の超高所で手巻き寿司とお茶会を行った。当初、お茶のセットなど高所に持ち込むことなど無駄としか思えなかったが、実際にお茶をたてて、お互いに振る舞うと和やかな雰囲気が醸し出された。おかげで冷静な判断を最後まで見失わずにいられたのだと思う。
 80歳での登頂を考えるとき、これまでの常識や登山のあり方を根本的に見直す必要があった。これらの作戦はすべてチームで新たに考えられたことだった。

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