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ヒグマに学ぶ「畏怖」
2012年3月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。
先日、東京から北海道に来た友人を案内した際、定山渓を経由し、ニセコ方面に向かった。その途中、藤野という町を通り過ぎる。10年位前に地元のニュースで有名になった藤野のある老人の話を思い出し、友人に教えた。
山菜取りをしていた老人が山中でばったりヒグマと出合った。彼は驚き、思わず後ずさりするが、バランスを崩し後方に転んでしまう。その瞬間、ヒグマは襲いかかってきた。覆いかぶさるヒグマを必死に蹴り上げると、それが偶然、柔道の巴投げのような形になり、ヒグマを山道の斜面下、遠くに投げ飛ばし撃退したという話だ。
その老人は今どうしているか分からないが、ヒグマたちは今日もあちこちで健在だ。昨年の秋、スキー仲間の佐々木大輔君と話をしたら、彼の実家、つまり僕の母校の盤渓小学校がある山の中でヒグマの足跡を見つけたという。
昨秋は札幌の大都会の中央区まで進出、近隣の住民が恐れをなし、警察、消防など札幌市総出で対策にあたったから、ヒグマについて記憶に新しい方もいるかもしれない。しかし、その後そのヒグマが捕まったという話を聞かないところを見ると、今もどこかで冬眠中なのであろう。
北海道の人々とヒグマの距離は近いが、それでもヒグマが出没するたびに大きなニュースとなる。それはヒグマが武器を持たない人間に対して圧倒的な力を持つ猛獣であり、野生の中で遭遇するということは、人間が自然の食物連鎖の中に突然放り込まれることを意味する。
こうした自然の脅威に対する「畏怖」が現代においては消滅しつつある。その畏れが、狩猟生活をしていた我々の先祖が強固で安定した農耕的集団社会をつくる原動力となり,それがいわば今日の札幌や東京のような大都市へと発展していくのである。
ただ、日本でヒグマに遭遇して死亡する例は年に2~5件程度だ。その他の死因、例えばがん、心疾患、脳梗塞など生活習慣病による死者が60万人以上ということに比べれば非常にまれな事故ということになる。死者数だけで見ると、強固で安定した現代社会こそが、実は根こそぎ病んでいるのではないかと思えてくる。自然への畏れを教えてくれるヒグマから学ぶことは多いのではないか。
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