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カヤックのルーツ

2016年9月3日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 北海道・ニセコ雪崩調査所所長の新谷暁生さんに会いに行ってきた。新谷さんは登山家、スキーヤーでありながら海洋冒険家としての顔も持っている。
 日本ではおそらく最も長く現役で知床のカヤックのガイドを行い、またカヤック発祥の地であるアリューシャン列島に幾度となく足を運び、そのルーツを探っている。先日も7度目のアリューシャン列島の旅を終えて帰ってきたばかり。僕は新谷さんの冒険談を聞きたくてうずうずしていた。

 アリューシャン列島は米国のアラスカからロシアのカムチャツカまで1930㌔に延びる列島で、土着のアリュート人がこの島に住んでいた。自然条件が厳しい太平洋北方のこの地で、彼らはカヤックを開発、発展させ、縦横無尽に交易や狩猟をしていた。クジラ、ラッコ、オットセイ、トドなどの海獣を狩りながら数千年、完全に自然と調和した生活を営んでいた。航海技術も高く、日本の松前まで交易に行ったという記録もある。
 しかし、彼らの発達した海洋文明も17世紀ごろにロシアや米国が入り込み、海洋資源の乱獲や疫病の持ち込みで彼らの人口は10分の1以下となり、その人々も文明も壊滅的なダメージを負った。

 新谷さんは失われたアリュート文明に思いをはせながらカヤック航海を行っている。今回のルートはアラスカの突端、コールドベイから出発、フォールスパスの海峡を通り最後はアリューシャン列島のウナラスカ島にあるダッチハーバーにたどり着く。24日間、およそ500㌔に及ぶ航海はカヤックにおいてアリュート人が200年前にこいで以来のルートだという。
 途中、野営のため島に上陸するのだが、ベーリング海の波は高く細心の注意を払って上陸しなければ船首が海面に突き刺さり沈没してしまう。
 現在、アリュート人が作ったカヤックはほとんど残っていないが、その技法は伝承で伝えられている。専門家の中で議論の対象になっているのが船底に海獣の骨を使った関節を模した構造の有無である。現代のどのような船もこの様な造船技術はない。

 今回、新谷さんはアリューシャン列島で激しい波が来た時、カヤックの船底に関節があれば、それが折れ曲がることによって柔軟に波に対応できることを確信した。その実用性と彼らの独創性を目を輝かせながら語っていた。


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