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ラガーマンの絆

2018年9月29日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 サンゴリアスといえば、トップリーグに加盟するサントリーのラグビーチーム。そこでコーチを務めていた林雅人さんが春に僕たちの事務所を訪ねてきた。
 僕と林さんの出会いは12年前に遡る。チームの士気を高めるため、サンゴリアスの選手50人ほどで富士山に登ったことがあった。その時に頂上までガイド役を務めたのが僕。その後、慶大のラグビー部監督に就任した林さんは、そこでも部員たちを連れて富士山を登ろうと考えた。しかしながらこの計画は、決行目前の合宿中に部員の一人が大けがを負ったために一頓挫してしまった。
 止まったままの時間をまた動かしたい。林さんが持ちかけたのは、そういう相談だった。 
    
 あの時にけがした部員の名は杉田秀之さん。2007年の夏だった。長野の菅平合宿中の試合で、杉田さんはスクラムの最中に頚椎(けいつい)を脱臼した。すぐに病院で手術を受けた。下半身は麻痺したままで「一生、車椅子での生活となるでしょう」。と言われた。
 術後間もない杉田さんとのやりとりは、林さんの忘れられない思い出だ。杉田さんはまずチームに迷惑をかけたことをわび、自分がけがで途中退場した試合の結果を尋ねた。そして富士山に登りたかった気持ちを林さんに伝えたというのである。

 それから11年。富士登山の話がふたたび持ち上がると、杉田さんは林さんと一緒に僕たちの事務所に来てくれた。懸命なリハビリのかいあって、まひは残るものの両手で杖を持てば十分に歩けるまでに回復していた。事務所の階段もどうにか上り下りができた。
 そんないきさつで、ただ今「止まった時間を動かす」計画が静かに進行している。登山決行は来年の7月か9月。11年前に一緒に登るはずだった当時のメンバーとともに。
 まずは前哨戦を、という話になって僕たちは先日、高尾山に登ってきた。杉田さん、林さん、それと当時のメンバー10人ほどが集まった。もしもの場合に備えてアウトドア用の車椅子を用意し、指導員の小泉二郎さんにも付き添ってもらった。
 ラガーマンたちは山を登りながら冗談をとばし、杉田さんと遠慮なしに接している。まるで昨日まで一緒にラグビーをしていたようである。本当の仲間たちに囲まれて、杉田氏はこの日、見事に自分の足で高尾山を登りきった。

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