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それぞれのエベレスト

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2020年4月23日スタート! 1 か月後の 5 月 23 日を目標に毎日エクササイズを行い、7 年前の三浦雄一郎のエベレスト登山記録(豪太遠征日記)の同日をトレースしながら累計… もっと読む
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#日記

2013年4月22日(アーカイブ)

インドの王子様、ミウラベース基地に現れる 朝起きて、テントの張に頭をぶつけると、テントから「がさっ」と音がして雪が落ちた。外出るまでもなく昨日の夜はまた雪が降ったようだ。これほど連続して雪がベースキャンプで降るのも珍しい。起きると五十嵐さんとギャルツェンがダイニングテント前に立っている。聞くところによると、C1、C2では雪が1mほど降り積もり、ほとんどの隊が下りてきているという。明日はプモリC1に行くつもりであるが、この積雪だとそれも怪しいと思った。 朝食を食べるとき、お

2013年4月20日

雪景色のベースキャンプそしてスケジュール変更 テントを出るとそこは真っ白な雪の世界だった。本来は、今日は高度順化のためプモリのハイキャンプへ向けて出発予定であるが、この雪だと無理だろう。倉岡さんはプモリC1近くでは斜面が急になりガレバがある。雪があると滑って危険なので、この大雪がひと段落してから行こうとのことになった。前回のポカルデにしろ今回のプモリにしろ、どうも悪い周期に入っているようだ。しかし、ここで無理してもしょうがない、明後日までには天気が回復するというので気長に待

2013年4月19日

思いがけない休養日 今日は思いがけない休養日となった。父が昨日、目がかすむというので、高所による影響を考えた。そのため昨日は酸素を十分に吸って寝てもらった。朝になっても状態は改善されず、目がかすむというので白内障を疑う。以前、父は右目の白内障が進んでいるとクリニックで診断されたことがある。いずれにしろ、80歳の白内障であれば、今回の遠征でどうにかなる問題ではないので、日本に帰ってから処置をしてもらおう。 休養日とはいえ、やることは多い。昨日プジャが終了し、登山は実質開始し

2013年4月18日

各国隊が集う全体ミーティング 今朝、シェルパたちは朝から大慌てだった。本日行われるプジャのために、祭壇を作ったり、お供えものを置いたり、飾りつけをしたり、12人いるシェルパはベースキャンプ中を駆けずり回っていた。プジャはシェルパのための開山の儀式だ。シェルパカレンダーといって、日本の大安や仏滅などと同じく良き日取りで行われる。今日と明日はシェルパカレンダーによるとプジャにふさわしいという。 昨日作られた祭壇の正面にはチベット仏教の高僧の写真がまつられ、仏具が飾られる。祭壇

2013年4月17日

僕らのテントサイトは早朝から賑やか 夜中、3時頃にライトの明かりと人の歩く気配で目が覚めた。いや、それ以前に寒さでそれほど深い眠りではなかったのかもしれない。僕たちがキャンプを作ったのはクランプオンポイントのすぐ前。クランプオンとはアイゼンのことで、氷河の上を歩くのに、滑らないよう登山靴に鉄のスパイクを付けるのだ。そのためクランプオンポイントではアイゼンの音がガチャガチャとし、ヘッドランプの光が回りを照らし、薄いテント生地からはっきりと見える。 起きて温度計を見るとマイナ

2013年4月16日

ベースキャンプ到着、歴代で最も豪華な設備 今日はいよいよベースキャンプ!日本を出てから早18日、その間2日以上滞在した場所はない。ベースキャンプの何が楽しみかというと安住の場所であるからだ!テントの中は自分専用のスペースとなり、手の届く所に好きなように荷物を広げて配置する事ができる。これまでのトレッキングもそれぞれのバティ(山小屋)に泊まり楽しかったが、パーソナルスペースという意味ではテントを上回るこれ以上の空間はない。自分のテントはキングオブマイワールドなのだ。ははは!

2013年4月15日

今回の高度順化はスムーズ まずは昨日の書いた日記の訂正とお詫びから。昨日の日記にてサーダーのギャルツェンに異父兄弟が居るという話をした。そのときに、彼の家族はチベットや一昔前のシェルパの風習に乗っ取り多夫一妻制の異父兄弟と書いたが、よくよく聞いてみるとそれぞれの父親には血縁関係は無いそうだ。勝手にチベットやシェルパの風習にあてはめてしまい申し訳ない(しかし、現在でも一部のチベットやシェルパ民族は昨日の日記とおりに嫁ぎ先兄弟全体婚姻関係を結ぶことはある…)。 ということで今

2013年4月14日

ツクラの丘にあるシェルパの碑 今日はネパールの暦では2070年の元旦である。特になにがあるというのではないのだが、朝起きるとみんなHappy New Yearと声をかけていた。 今日はツクラからロブチェに移動する。ヤックに荷物を積む光景は日常となった。うちのヤックドライバーは全員女性で、聞いてみるとそのうち一番若い眼鏡をかけて背の高いのがカミヤンジン・シェルパと言って我が隊のサーダー、ギャルツェンの妹だという。また、すでにベースキャンプに直行しているのがミンマヌルと言って

2013年4月13日

ディンボチェからツクラまでの道のりは順調 ポカルデのスキー高度順化を変更、ディンボチェからエベレスト街道を通ってエベレストベースキャンプに向かうことになった。今日はディンボチェからツクラまでの道のり。ランボーカルカにいって中一日しかいなかったのに急に周りは春めいてきた。トンボやチョウチョが舞い、温度も随分と暖かくなってきた。しかし、ヒマラヤの春の訪れを感じながらも標高を上げると季節を逆行するように寒くなる。本当の春を感じるのはエベレスト登山が終わってからだろう。 ゆっくり

2013年4月12日

吐き気と下痢で留守番 今朝、朝食を食べるといきなりお腹にきた。吐き気と同時にひどい下痢で、シェルパが作ってくれたトイレから離れられなくなった。 昨日のミーティングでこれからの予定が変更された。本来はこのままコンマラの峠を目指しポカルデベースキャンプに向かう予定であったが、高度順化の日程が悪天であるため、急遽エベレストベースキャンプに近いプモリにて高度順化を行うことに変更した。しかし、せっかくここまで来たので、このままディンボチェに降りるのではなく一度5000m付近まで登っ

2013年4月11日

ランボーカルカから見る絶景 朝起きると外は一面雪化粧! なんだかスキーのシーズン初めを思わせる景色だ。でも陽が昇ると、この雪も僕達がディンボチェを出発する頃にはすっかり溶けていた。今日はいよいよポカルデの高度順化に向かう。ここで隊は二手に分かれる。一つは父やエベレストアタックメンバーを中心としたポカルデ高度順化隊。もう一つはエベレストベースキャンプキャンプに先行してベースキャンプの環境を整える隊だ。 エベレストベースキャンプ先行は貫田さんと三戸呂君が行ってくれた。残りはポ

2013年4月10日

グッドアイデアが閃く 今朝は明らかにいつもの天気とは違った。いつもカラッと晴れているはずの空には雲が 所々見られ、それがだんだん広がってくるウェザーニュースよるとこれから 12 日にか けて天気は下り坂。その後少し回復するが再度 15、16、17 日にかけて天候は悪化する という。この予定はピッタリと僕たちのポカルデでの高度順化と重なってしまう。予定 を立てる段階である程度予想はしていたが、実際に雲の流れをみると日本にいながらこ こ現地の天気がわかるウェザーニュースさんの予

2013年4月8日

いよいよ序盤のスタート 今日は朝からディンボチェに向けて移動する。ショマレからディンボチェまで2時間程の道のりなので、ゆっくり出発した。ヒマラヤの朝らしい快晴で気持ちのいい朝だ。4000mはいつも鬼門ではあるのだが、今回は問題なくクリア。ショマレの村の坂を過ぎると広い平原に出る。正面にローツェ、右手にアマダブラム、左手にタオチェがあり巨大な空間の中、山のスケールを感じられる所だ。そこからひとつふたつ丘を超えるとすぐにディンボチェだ。 ディンボチェには12:00ちょうどに着

2013年4月7日

安全祈願で貴重な体験 今日はデウチェからショマレに移動した。その途中パンボチェという村に立ち寄り安全 登山祈願と妻の安産祈願を行った。パンボチェの寺院はこの辺りでもっとも古く 600 年 以上の歴史があるという。前回もこの由緒ただしき寺院にて、祈祷を行なってもらった。 久しぶりに通る寺院だが、なるほど至る所に歴史を感じる。壁にかけてある曼荼羅、お 面、壁画どれをとっても文化遺産ものであろうか。 プジャ(祈祷)は 1 時間ほど続けられた。 僕は作法に疎いのでひたすらシェルパ