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1月、南米の最高峰のアコンカグアに挑んだ僕たちの遠征は強風によって停滞し、僕の父、三浦雄一郎の心臓のコンディションを危惧した山岳医の大城和恵先生がドクターストップをかけた。副隊長だった僕は医師の判断に従うように父を説得した。父の頂上への思いは非常に強く、この説得には全身全霊を込めなければならなかった。長い沈黙の後、父が言った。「豪太たちだけでも頂上に行ってくれ」 僕は父の言葉に従いアコンカグアに登ったが、その間、あんな形で父を山から下ろしたことをずっと気に病んでいた。冒険
2019年3月23日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 中岡亜希さんと出会ったのは10年前だった。彼女は遠位型ミオパチーという難病を患っていた。手足の先など、体の中心と離れた箇所から筋力が失われるという筋疾患である。 当時、塾の先生をしていた彼女には、生徒たちと一緒に富士山に登りたいという願いがあり、僕がそのお手伝いをしたのが彼女と知り合うきっかけだった。 当時から明るく、積極的な人だった。自分が富士山に登るために「ヒッポ(HIPPO)」というフランス製のアウトドア
最近、僕に関わりのある2つのプロジェクトに大きな進展があった。 一つは一般社団法人の健康ビジネス協議会とともに進めてきた「NWSプロジェクト」という事業で、「次世代のアスリートを新潟県から排出し続けるために」というスローガンとともに5年前に発足した。きっかけとなったのは平野英功さん。ソチと平昌の両冬季五輪のスノーボード男子ハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢選手の父上である。2014年のソチ大会直前、歩夢選手をサポートする体制作りについて、英功さんが僕に相談を持ちかけ