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風変わりで何も言わない時期

私にはピアノの先生が高校を卒業するまでに3人いる。最初は私がピアノを始めた4歳の時に習った先生、そして小学校一年の時にできた友だちが「今日はピアノの日だから一緒に行こうよ」と誘ってくれて着いていくことになり、その着いて行った先で出会った先生、そしてその後、中学生の時に預けられた先生だ。
今でもお会いしているのは小学校一年生で出会った先生で、今回はその方に十何年ぶりにお会いした時のことやそれから考えたことを書いてみる。

ピアノのレッスンについて行ってどういう経緯で4歳から習っていた先生をやめて、その先生に習うようになったのかは覚えていないのだが、先日先生にお会いした時に「あなたは何回か一緒に着いてきて、いつのまにか習い始めていたのよね」と話してくれた。
そして、こう言葉を続けた。

「あなたって少し風変わりなところがあって、他の人がピアノのレッスンをしている時にピアノの下にもぐってそこで音を聴いてたのよね。いつも何も言わない子でちょっとシャイだったわ」と。

その先生は私が中学に上がる時に「もっとピアノを専門的に教える人を」と音大に行かせるためのピアノレッスンをしていた方に私を預けた。私自身は音大に行くつもりがなかったけれどピアノが上手くなれるんならそれでもいいかとうつったものの、あまりにも厳しいレッスンに耐えられなくなって「私は音大に行くつもりはないんです!」と伝えたら「あら、そうなの?だったら自分の好きなものをやっていいわよ」とあっけなく好きな曲をやらせてもらえるようになった、という経緯がある。

その後高校に入ってからあまりピアノの練習をせず、部活にいそしんでいたところにその頃の厳しかったピアノの先生から「あなた、歌でピアノの発表会に出たら?」と言われた。

そのようなわけで小学校の時のピアノの先生に歌を習いに戻ったのだが(元々専門は声楽の方)、実は双方で話がされていなかったらしく「高校に入ってからいきなりクラシックの歌を習いにきたからどうしてかしら?と思っていたけれど、あなた小さい時と同じように何も言わないからこちらも聞かなくてね」と。

この話には続きがあって、高校3年生の12月のある日にその頃の厳しかったピアノの先生から電話があって「今からなら某音大の歌科が間に合うから受けてみたら」と。私は他に行きたい大学があってそれを受験するからと丁寧にお断りしたのだけど(行きたい大学は見事に落ちたけど‥)。
もしかしたら、この子は歌をやったらいいんじゃないかって何かの勘があったのかもしれない。厳しいピアノの練習には反発したけれど、実は私の音楽的な性質をいろいろとみてくれていたのかも、と後からうれしい気持ちになった。

でも結局音楽をやろうと大学卒業の時に決めたのだから、そうなることになっていたのかなとも思う。

先生に久しぶりにお会いした時の話に戻るのだが「風変わりな子」というのと「ピアノの下にもぐって音を聴いていた」というのは結構今の私につながる原点なのかもしれないと思った。

ピアノの音が小さい頃から好きで、ピアノの音楽というより音によって身体がつーんと震わされているのがよくわかって、それがとても心地がよかったんだろうなと。
グランドピアノの下は一番それが味わえて、しかも自分ひとりで落ち着けるひとつの場所だったのかもしれない。

風変わりといえば小学校の頃、モノラルのカセットデッキをそれぞれ自分の右と左に置いて同時に同じ音楽が流れるように再生ボタンを押し、少しづつずれていきながら歪んでいく音の響きが好きで、家に帰るとそんなことをしていた。
時にはカセットデッキをから流れる音楽にピアノで伴奏をつけたりして合奏していた。この辺のこの音が好きだと思うと何度もその和音を鳴らしていた。なんでこんなにいい音なんだろう?なんだろうこれ?と。
後々4度や9度の音だったりするから、なんだ今使っているコードやテンションと変わらないじゃないかと発見があったりした。

小学校の時のピアノの先生は、そういう風変わりで何も言わない私に対してそのままにしておいてくれた。お行儀がよくないとも言わずにただ楽しくピアノを教えてくれた先生に改めて感謝だ。
そして私自身は何も言わなかったのではなくて、きっと言う言葉が思いつかなかったのだ。

久しぶりに会った先生は「あなたは元気で行動的だったお母さまにそっくりになられたわね。やはり親子ね」とおっしゃったが、子どもの頃は表現の仕方がよくわからなかっただけなのかもしれない。今は大人になった分だけ表し方を学んだのだ。

でも、よくわからないけれどそこにいたい、とかそれを感じ取りたいと思うのは今でも変わらない。
そのモードになったときに静かな自分が出てきてじっとしている。その時に子どもだった頃の風変わりで何も言わない自分に戻るのかもしれない。

そうやって繭を作る虫のように内部にこもり、何かのスイッチが入るのを待つのだろう。

春はそこまでやってきている。

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