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静謐さ

このところの世界は新型ウイルスを通して見えなかったことを表出させているように感じる。物理的に繋がった世界のいいところと、そうでないところ。そして人の強さと脆さ。さまざまなシステム。

目に見えない小さなウイルスが増殖するだけで人の様々な活動が制限されていくけれど、それを知恵や想像力で抗い、時には人が活動を一時的に止めることで今まで見えなかったことが見える。

その中で自分は、と思うと、恐れの気持ち、その反面変化に対する戸惑いと自分に対する期待、そして自分にとっての静謐さとは何かということまで考える。

私は14歳の時に肺炎になりひと月ほど入院したことがある。
そのころの私は健康だった。ほぼ学校を休むことなんてなかった。
そこそこ勉強をし、そこそこ自分の好きなことがありながらも
思春期の始まりということもあってどこか、いつも不満足だった気がする。
学校に行っても、家にいても、友達といても、家族といても、何かしっくりこないものを感じていた。
そして秋の始まりに大雨が降る中、学校から傘をささずにずぶ濡れになって帰った。寒かった。すぐにお風呂にでも浸かれば良かったけれど、タオルで体を拭き、その寒さをしのごうと思ってベッドに潜り込んだ。多分そこからある程度の時間眠っていたのだと思う。夕ご飯を食べたかどうか覚えていないけれど、次の日は見事に熱を出した。両親は私が扁桃腺が弱いということで熱が出ているのだと思った。もちろん私もそうだと思った。そんな何日間の後、熱が下がらない私を連れて病院に行った母。そして即入院という診断が下されてそのまま病院にひと月いることとなった。
あの時にベッドに直行しないで温まったらよかった、と入院した時に思ったけれど後の祭り。とにかく力が入らなくて横になるだけ。頭も働かない。
入院中が苦しかったとか辛かったなどのことはほとんど覚えていない。熱が下がってからは再び肺炎にならないようにと体力回復のための療養だったので、小児科病棟にいた私は小児科病棟にだけ出るおやつを楽しみにしながら、毎日本を読んで過ごしていた。

でもひとつだけ覚えているのは熱が出て体温計がほぼ42度を振り切った状態になった時に天井がうねったり回ったりするのを見て、なんか不思議な気持ちになっていた。それこそ、この世とあの世の境目にいるようにふわふわしていた。その夜の天井の様子が今でも記憶に残っている。

そこから両親は「元気でいてくれれば」というスタンスになった。私は周りのものに対する見方が確実に変わった。信用していたものがそうでなかったり、その逆もあった。でも、私に何らかの杭のようなものを打ちこまれたし、そういう時に自分自身がどのような行動を起こすのかということも、冷静に感じていた。

その14歳の時の肺炎のことを数日前にふと思い出した。多分あの時から私は病気に対して抗えない何かを感じている。自分は病気にならないなんて言えないし、病気はどこからでもやってくる。
だけど、あの不満足さの中で毎日を送っていたことから、入院したことで少し時間をもらえたように思った。

それからの人生の方がずっと山あり谷ありだけど、病気というかたちでなく、またこの時に時間がもらえたことは自分にとって良かったのかもしれない。

今、世界は経済も文化も政治も停滞せざるを得ない状態で、もちろん自分もその影響を受けるのだろうけれど、抗いすぎず、その渦に巻き込まれることなく静謐さの中に自分の身を置くことを許してみよう。






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