ちょうどいいところでやめられる人がハッピーエンドよ

お久しぶりです。久しぶりに書きますね。


最近大森靖子の歌詞をツイッターのタイムラインで見かけることが多く、刺さったのが本タイトル。



三十路になるまであと1ヵ月ちょっと。

まあなってしまえばなんてことはないのだろうけど、相変わらずわたしは生きづらさみたいなもの感じながら日々生きていて、落としどころが分からないフラストレーションを感じていました。


今年の4月に人事異動がありました。

昨年中、今の仕事を辞めるか続けるか悩みました。やってやるぞ、という強い気持ちと行動する力がありました。

仕事を辞めない決断をして、今の職種に転向する決断をして、しっかり専門領域を深めていこう、と思いました。


今の部署に異動して4ヵ月が経ちます。なんだか自分の思うとおりに仕事ができず、モヤモヤすることが多い。

それは圧倒的に知識と経験が足りない。

今いる部署では一番年下。でもわたしはもうすぐ30になる。

この程度しかできない、のか。

この程度できていれば十分、これから、なのか。


それさえも分からない。

多分もっともっと苦しんで努力をしたらいいんだろうけど、そんな気力も出てこなくなってしまったなあと感じていた最近。


そんな最中、今年1月、5月と行っていた占いがある。

前々から9月が大切、と聞いていたから絶対8月中にも見てもらおうと思い、わざわざお店に赴く経済的余裕はなかったので電話鑑定をお願いした。


そこで言われてスッキリしたことがある。


それは仕事の話。

仕事を辞めたいと思っている話をした。


そうすると占い師は、「あなたはねえ、そんな仕事を頑張る人じゃないよ。働くこと好きじゃないでしょ?」と言われた。



なんだか殴られたくらいの衝撃を受けた。

ああ、そうだった~、と思い出した。


社会人になりたての頃のわたしの考えを思い出す。


わたしは楽がしたい。

働きたくない。

でも働かなくては生きていけない。

楽に生きていける自分を作って、そのキャラクターで楽に生きていこう。

職場での自分は本当のわたしじゃないから置いておこう、と。


楽するために頑張る、というシャーマンキングの浅倉葉的思考で働こうと思い、そこにこんなキャラクターがいいとかこうだったら素敵だな、のおかかを振り続けて、大層なもんじゃないけどわたしのパブリックイメージができあがった。


なんだかそれを守ることに必死になって、楽に生きるためのキャラクターづくりだったはずが、それに苦しめられていたことに気付いた。



そうなの、わたしはわたしが苦しくない生き方をしたい。

結局自分が創り出した虚像みたいなわたしが、いつの間にか本物のわたしになっているところもあった。

だから自分が何をしたいのか、どうしたいのか、よくわからなくなっていた。


自分の根本的な、仕事に関するスタンスを思いついた。

そして今の仕事に就いた理由も思い出した。


他にやりたいことができたらいつでもやめていい、それまではこの仕事で食いつなぐ。この仕事が好きなわけではないんだよね、もちろん。

でもやっていく中で、出会えてよかったなと思える人たちもいて。

勉強になったことも多くあった。


仕事って、人によって、生活の中での位置づけって違うよね。

わたしにとってはお金を稼ぐとりあえずの手段、だった。

でもそうではなくなりかけている部分もあるようだった。

でもそれはそれでいいこと。


ただ、一番はわたしがつらくない日常を送れること。


そのための自己防衛策をちゃんと忘れないように。


という久しぶりに仕事の話でした。


以上。

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