ベンチが替わった話
東京の西の方にあるUR団地に住んでいる。
最初にこの団地ができたのは1957年とのことなので実に60年以上もの歴史がある団地だ。建物は老朽化を理由に建て替えられたため、1番古い棟で築26年、最後に建った棟は築16年とUR団地の中では比較的新しい。名称も建て替えの時にそれまでの「なんちゃら団地」からちょっと小洒落た感じに変わっているので、建物名を聞くとそこがUR団地だとはパッと思いつかないと思う。
この団地の特徴は広大な敷地と緑の多さ。桜並木とケヤキやコナラ、松の大木に加え、季節折々の花を咲かせる樹木が多く植栽されているため、団地のパンフレットに書かれた「森の中のよう」とは言い過ぎにしても「大きな公園の中のよう」な敷地に、間隔を目一杯取ってゆったりと建物が配置されている。
その環境の良さは初めてこの団地に来た時にその豊かな緑に感動し、部屋を見る前に引っ越しを即決したくらいの力がある。
そしてこの美しい環境を維持することにもとてもお金をかけているようで、定期的に雑草や伸びすぎた樹木を刈り込み、倒木の恐れがある老木を伐採している。去年からは団地内の道路の整備も始まった。住民の意識も高く道端にゴミが落ちていることなども無い。
《いつでもキレイで気持ち良く暮らせる団地》
さて前置きはこのくらいにして、タイトルにある「ベンチが替わった」話をしようと思う。
団地の入り口に同じ形のベンチが2つ並んでいた。
木製のフラットな背もたれの無い形で、取り立てて特筆するところもない普通のベンチである。
このベンチがある日、青いビニールシートでぐるぐる巻きにされ「使用禁止!」と貼紙が貼られた状態になった。2つとも。
ぐるぐる巻きにされていてもベンチの形を保っていたので、どうやら心無い誰かに壊されたわけではなさそう。前の日までそのベンチは普通に使われていたし、老朽化と言うほど古さも感じなかった。場所もなかなか良く、いつ見ても誰かしらが座っているような人気のベンチ。
だけど、実は我が家はみんなそのベンチには座ることは無かった。それにはいくつか理由があるのだけど、例えば。
夜になると上半身裸で下もパンツ(下着的)なおじいちゃんがよく寝転がっているのを知っていたからとかね。
彼はこのハレンチなスタイルで団地内をランニングし、最後にこのベンチで寝転がるのが定番のようだった。走っている姿を最初に見た時は相当ギョッとしたものだが、下半身が裸なわけでは無いのでギリギリ犯罪ではないのか警察に捕まる様子は無かったし、いつのまにかその光景も見慣れ、「今日もおじーちゃん元気ですね」くらいな気持ちも抱くようになっていた。だが、だからと言って、ほぼ裸のおじいちゃんがタオルなどを敷くことなく寝転んでいるベンチには、いくら疲れていても、手がもげそうなくらい重い荷物を持っていても、そこでひと休みをしようという気は起きなかった。
また、お家がもしかして無いのかな?な様相のおじさんが寝ているのも見たことがある。
大きなバッグを3つくらい持ち、そのバッグに汚れや雨避けのためかビニール袋をかぶせていた。
1番小さなバッグを枕にして腕をギュッと組み、うつむき加減で横を向いて静かに寝ていただけなのだけど、やっぱりなんとなく怖くて、遠巻きにして足早に通り過ぎた。
またある日は、お家がどこだかわからなくなっちゃったのかな?な泥酔したお兄さんが寝ていた。お兄さんの寝相は「お家が無いのかなおじさん」に比べて豪快だ。ベンチに大の字になり、広げられた両腕はだらしなく地面に落ちている。しかもものすごいイビキをかいていてうるさい。お家がある人の余裕を感じた。
このようにこのベンチは、昼はお上品なおば様達が和かに話をしたり、小さな子連れのママがホッと一休みするのに利用する幸せオーラ満点なベンチなのに、夜になるとちょっとMadな雰囲気を醸し出すという、昼と夜の顔を持つベンチだったのだ。 そしてそのどちらにも優しく、懐の深さを感じさせるそのベンチが私は大好きだった。
それなのに。
数日前の朝、そのベンチはすっかり撤去され、替わりに緩やかにラウンドし、真ん中に肘掛がある新品のベンチが置かれているのを見た。最近よく見かけるようになったいわゆる「ホームレス避けベンチ」だ。
きっと市民から URに「寝ている人がいるのでどうにかしろ」的な苦情が入ったのだろう。そうでもなければわざわざ交換する必要はない。その証拠に少し奥まってわかりにくい場所にある同じ形のベンチは交換されずにそのままあるのだ。
心底ガッカリした。
このベンチでは夜の顔を持つことができない。
裸ランニングのおじいちゃんも、家が無さそうなおじさんも、酔っ払いのお兄さんも、もうそこでは物理的に寝転がることができなくなってしまった。
新しいベンチは夜も昼の顔でそのまま寂しげにそこにあるだけ。
もう夜に「今夜はどんな人が寝てるのかな〜」ってワクワクしながら団地内に入ることもないんだなって。つまらないなぁ。
《いつでもキレイで気持ち良く暮らせる団地?》
キレイで健全なことはもちろん良いことだ。
だけど、なんだろう?少し窮屈に感じてしまう。
だって、それに、健全さが嘘臭い。
お家のないおじさんのお家は無いままで
居場所をどんどん無くされていく。
汚いものに蓋をする的な、根本的でない解決策。
いじめと何が違うのだろう。
街がもう少し全ての人に寛容でありますように。
ベンチに昼と夜の顔を持たせてあげられるくらいの余白を持たせてあげてほしい。
私はこういう日常の中にあるちょっと変なことや不思議な話が大好きです。
これからも少しずつこんな話を書いていこうと思ってます。
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