ひと

届けるということ。
伝えるということ。

その難しさにいつ気付いたんだろう。

ヒトとは、漢字で書けば人。
二人がそれぞれ支え合う絵だとよく比喩されている。
文字にするとそんな単純なものだ。
でも実際はどうだろうか。

桜吹雪きの舞う、河川敷。
親と子供が手を繋いで歩いている。
40手前の母と父。その間に小学生であろう子供。3人の掌は繋がって和かに歩いている。
その3人の後ろでじっとその手を見つめる中学生くらいの少年がいた。
子供の手は両方埋まって居たが、少年の手は両方空いていた。

ジリジリと照りつける太陽の下で。墓参りをする家族がいた。
二人の子供が「私がやるの」とバケツと柄杓を取り合いながら場違いに騒いでいた。
喧嘩になりそうな二人を両親が軽く叱った。
その少し遠くで、しっかりと手入れされた墓石の前で一人で目を瞑りシワがれた手を合わせる老婆が居た。

公園の木陰にあるベンチに一人で座っている人がいる。
頭上の紅葉は綺麗に紅く染まっており、遠くでは子供の遊ぶ声がして、他にもコオロギの声が聞こえた。
そんな穏やかな昼下がりの中でベンチに座った人だけはどうしようもなく一人だった。
そこで持病の発作でも起こそうものなら、誰にも気づかれずに居なくなってしまうかもしれない。
そんな風に一人だった。支え合う相手が居たかどうかすらわからなかった。

イルミネーションで飾られた街中を歩いている人がいる。
それぞれに会話の相手がいるようだ。彼氏、彼女、友達、同僚、先輩、親子、兄弟。姉妹、親戚。
それぞれに会話相手の顔を見ていた。
そのきらびやかな道で一人で歩いている人がいた。
その人だけは、ただひたすらに前だけをまっすぐと見ていた。

そう、どこにでも一人の人がいる。
街の片隅に、家の中に、学校に、職場に、どこにだって。
そういった人たちは誰と支え合うのだろう。
誰にどうやって自分の気持ちを伝えるのだろう。届けるのだろう。
誰がその人の心と繋がるのだろうか。

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