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『desserted.』

ショートケーキをショートケーキたらしめているのは苺だと思う。
あの真っ赤な苺が三角の真ん中に乗っていなかったら、ケーキはただのクリームケーキだ。
クリームケーキだってとっても美味しいけど、でもやっぱり苺は特別だ。
私には私を私たらしめる苺はあるだろうか?私の苺はなんだろう──

季節は春だった。春といっても世はゴールデンウィークの真っ只中で、例年より早く暑くなり始めた今年は夏日ももう記録しており初夏の様相。
キャミソールに薄手のカーディガンを羽織って出てきた私の肌の露出部分は爽やかな初夏の陽射しにじりりと灼かれている。
紫外線で外一面が薄ら白く見える。
買って持ち歩いているペットボトルはひんやり汗をかいていた。

織子としらない街を歩きたい。そう言って織子を誘った呉彦はまだ待ち合わせの駅前に現れていなかった。
先程LINEの通知画面に少し遅れる旨が送信されてきている。
普段だったらいくら誘ったのが呉彦でも二つ返事でうんとは言わなかったかもしれない。
呉彦は同僚で、もし二人で出掛けたのが知れたらちょっと社内の話題になってしまいそうでそれは少し面倒だ。
でも、私は私を私たらしめる苺が何なのか知ることを希求していた。
呉彦の誘いには何となくそれを知る手掛かりになりそうな予感が秘められていたのだ。
それは、呉彦が私には随分自由に見えるからからもしれなかった。呉彦が纏う空気はいつも飄々としている。何故呉彦は何にも縛られないようにいつも清々としているのだろう。
その呉彦と知らない街を歩く。言ってみればただそれだけのことなのだけれど、何故かこの誘いはとっても特別に感じた。
この誘いにももしかしたら苺が秘められているかもしれない。

そんなことを考えながら街を眺めるとなく眺めていると、頬に冷っとしたものが当たった。
「遅い」
呉彦がへら、と笑いごめんのポーズを作る。
「悪い。いつ着いた?織子」
「約束の10分前だよ」
呉彦が、おお……流石お利口の織子とか何とか言っているので、煩いグレ彦、と一蹴してやる。

呉彦の服装は至ってラフだった。薄手のパーカーに丈が少し短いクロップドパンツ。スニーカーは何だかピカピカして拘りがありそうな感じだ。

頬に当たったアイスティーを手渡されてむくれたまま受け取り、ありがとう、と言う。
その様子を呉彦は可笑しそうにくつくとわらった。
「100点。これは幸先がいいなぁ。謎解きが捗りそうだ」
謎解き?と聞き返すと呉彦が大真面目に、うん、と頷いた。
「俺は織子がなんでそんなにお利口なのか知りたくてこの休暇を提案したんだ」
「何それ。私皆が言うほどお利口じゃないよ」
へぇ、と興味深そうな呉彦。
「例えば?」
「例えば……お洗濯だってすぐすればいいのにちょっと溜め込んでからするし」
「ちょっとだろ?」
「課題をギリギリまで完成させないこともあるし」
「期日に間に合わなかったのは見たことない」
「昨夜は夜中にプリンを食べた」
「そこに罪の意識を感じてるところがもうねぇ……」
「と、とにかく!そもそももうお利口なんて歳でもないし謎でも何でもないよ」
するとニマ、と満足気というかなんと言うか不敵に笑う呉彦。
「俺にとっては知りたいことなんだよ。織子のお利口は魅力的だ」
「また軽くそういうこという……私グレ彦の浮名の一つになるのは御免だからね」
そういうと呉彦はふわ、と笑い、それは残念、と言った。こういうところが呉彦の魅力的でありとても怖いところだ。

「でも、今日は一つお利口の壁を越えてくれたな」
「ん?」
「断られると思ってた」
「私は──」
「私は?」
呉彦が興味深そうな目を向ける。
「笑わない?」
「笑わない。多分」
「多分……」
「冗談。約束する」
「私は、私の苺が何か知りたかったの」
「苺?」
「ショートケーキをショートケーキたらしめ、私を私たらしめているもの。それが私にあるとして何なのか知りたかったの」
ふむ、と呉彦が首を傾げる。
「誘いに乗ればそれがわかるかもしれないって?」
「予感を信じて素直に挑戦することも時には必要だよ」
そう言うと呉彦はお利口だなぁ、とくつくつ可笑しそうに笑った。……笑ってるじゃん。
「それ」
「ん?」
「その誰にも真似出来ない無類のお利口さは織子の苺にはならないのか」
私は吃驚して一間考える。
「……お利口が私のアイデンティティってこと?……」
「それは難しい議題だな」
呉彦も考える素振りを見せる。
「まぁアイデンティティかどうかはともかく織子の美点や特性であることには違いないんだから、そのお利口を逸脱すれば見えることもあるんじゃないか?それから」
「それから?」
「少しは脈アリって思ってもよさそうで嬉しいよ。俺は織子に選ばれし民だ」
「もう。違うから」
ドキマギして怒るとまた笑われた。

「さてお姫様」
「……はい」
一々否定していたら会話が進まなそうだ。
「知らない街とは言ったけど何処に行く?俺、織子と行きたいというのが第一でノープランなんだ」
「難しいね、知らない街は沢山あるけど……」
「何か希望はある?」
希望、かぁ。
「森」
「森?」
「森とか山とか自然の多いところに行きたい」
さっきのお姫様、の続きなのか承知しました、と呉彦が傅く。
「自然の多いところね。で、知らない街って位だからちょっと遠いとこ。所々でお姫様のインスピレーションに力を借りて進もう。右でも左でも。それで行き着いた先で自然の多い所を目指して歩く。それでいいか?」
こく、と私は頷く。
「なんかドキドキするね」
「それが重要なのよ。吊り橋効果も期待出来そうかな。じゃあ乗る前にコンビニ寄りますか」
「飲み物ならあるよ?このアイスティーも、買ってきたやつも……呉彦もあるでしょ?」
「酒」
「お酒?!呉彦運転だから飲めないじゃん」
「俺は飲まないよ。お利口逸脱の一手」
グレ彦は本当にグレ彦だ。
私たちはコンビニに寄りお酒を選んだ。ほろ酔いキウイフルーツとコンビニでは珍しかった苺ワイン。
それだけでいいの?という呉彦に、これ以上は無理、と言うと、呉彦は笑って、まぁいいか、と言った。

コンビニから少し歩くと駐車場に着いた。公園内のものでこのご時世でも無料のようで、申し訳なかった私はちょっとホッとする。
呉彦が自身の黒い車の助手席のドアーをうやうやしく開けてくれる。
「どうぞお嬢様」
「……今度はお嬢様」
「おっとお姫様の方がよかったか」
「私どっちでもないよ」
笑う呉彦をもう、と見遣り渋々助手席に乗り込む。
呉彦も運転席へ。
「さぁ苺探しと謎解きの旅に出発だ」
呉彦がエンジンをかけ、車は走り出した。
乗り込むと早速呉彦がお酒を開けてくれようとしたが、思い出した私は慌てて止めた。
「ねぇだめ呉彦、飲酒!同乗者もしちゃだめなんじゃなかったっけ」
呉彦は吃驚してどうだったかなぁ、と頭を搔く。検索してみるが判然としないのでほろ酔いキウイフルーツと苺ワインは私のバッグの中に封印することになった。
「お利口逸脱が判然としない法とお利口によって阻まれたな」
「安全は大事だよ」
言ってしまってから気づいてむくれると呉彦はやれやれと可笑しそうに笑った。

「最初の関門はお嬢さんどっちに行く」
道を選ぶ。それだけなのにノープランだとドキドキする。
「じゃあ、右」
「承知!サクサクいこうぜ」
右だ左だと言ってどれくらい車に揺られているだろう。方向音痴の私は呉彦の申告がなければもう何処にいるかわからなかった。
窓を開けているから入り込む風が気持ちいい。車窓を流れる風景は随分長閑になってきた気がする。
「呉彦はさ」
ん?と目だけ遣る呉彦。
「どうしてそんなに自由なの」
呉彦が一瞬目を開いてすぐあっはっはと大声で笑う。
「それが苺がみつかるかもと思った理由?かな」
そうかも。と、私は言う。
こんなに窮屈に生きてるのになぁ、とか何とかまだ呉彦は可笑しそうにしている。
「俺が自由に見える?織子には」
「みえるよ」
ふふ、と呉彦が未だ笑う。
「俺はさ」
うん、と、私。
「自分のやりたくないことはのらりくらりとやらない術をいつからか身につけたんだ。それだけだよ」
少し考えてみる。やりたくないこと、かぁ。
「そっかぁ……うーん」
どうした?と、呉彦が目を向ける。
「私」
「うん」
「特に」
「うん」
「やりたくないこと、ってないかも」
呉彦は今までで一番大きく笑う。
「やりたくないこと、ない?!そりゃ凄い。自由にみえるよりよっぽど大きな才能だ」
そうかなぁ……何だか釈然としない。
「あ、でも」
「うん」
「しちゃだめなことや誰かが困ること傷つくことはしたくない。でもそんなのはしなければいいだけだよ」
真理ではあるかぁ、と呉彦は唸っている。
「ねぇ呉彦」
ん?と呉彦。
「お利口なのは」
「うん」
「……つまらないかな」
呉彦が破顔する。
「俺は面白い!」
もう、と言うが少し救われた気持ちになる。もしこれが私のアイデンティティだとして、それがつまらないものだなんて思わなきゃいけないなら報われない。

もう二時間は走っただろうか。車は山間の道をずっと走っていた。
「お姫様」
「うん」
「ここいらならそこら中自然だらけだけどそろそろ到着にする?か」
「そうだね、知らない場所。此処はどこ」
「此処がどこか知るのがいいか知らぬがいいか」
呉彦は歌うようにそんなことを言っている。
「愛知県、ではあるみたいだな」
「愛知かぁ!私初めて!」
俺もだよ、と呉彦は笑う。

私たちは駐車場を見つけるのにかなり苦労した。この山間の街で駐車場は希少みたいだ。
やっと見つけたときは互いえもいわれぬ達成感を覚えてハイタッチしてしまった。
車を降りると清々しい新緑の匂いがする。
「気持ちいい」
ほんとだな、と呉彦が伸びをする。

「さぁ山でも登るか?織子がスニーカーでよかったよ」
「困ったことにならないものを選べてよかった。右に行く?左に行く?呉彦」
「お姫様が選ぶんじゃないのか」
「ちょっと休憩。人の選ぶ道を進んでみつかることもあるんだよ」
呉彦はちょっと考えて、仰せのままに。と左に手を引いた。


少し歩くとそこはもう山間の新緑の道だった。道はもうずっと傾斜になっているからもしかしたら山を登っているのかもしれない。
「熊に会えるかな」
と言うと呉彦が大袈裟に震える。
「お嬢さん、現実の熊との遭遇ってのは多分そんな穏やかなもんじゃなく一大事だぜ」
「じゃあ狐か狸」
「それはいるかもね。鹿もいるかも」
「遭遇したいな。動物はみんな好き」
怖いことにならなきゃいいか、と呉彦は笑う。

「呉彦にも怖いものがあるんだね」
「怖いものだらけだよ」
呉彦は苦笑する。
「お嬢さんはお利口な割、些か怖いもの知らずだな」
私は少しむくれる。
「世間しらずだって思ったでしょ」
それも一つの稀有な宝珠だよ、と呉彦は笑う。

木々は爽やかな風で僅かに騒めいていて、その隙間からきらきらと木漏れ日が落ちる。
程近く渓流が流れ、道を外れた方に滝が見える。
──ねぇ呉彦。
──ん?
──道を外れても困ったことにならないかな?
──此処は俺たちの貸切だし俺は優秀なナイトだよ。
──もう。ねぇ、滝の方にいきたいな。
呉彦はうむ。と頷いた。
──俺もそう思ってた。いいお利口逸脱だな。
獣道の方の枝を掻き分けてくれた。

滝へ向かう獣道……と呼んでもいいのか怪しいような道なき道は、道でないだけあってそこそこに険しかった。
枝や草を先頭を切って呉彦が掻き分けてくれる。呉彦は本当に頼り甲斐のあるナイトかもしれない。
そう思いながら手を引かれ着いていくと、視界が開け、遂に滝の傍のひらけた場所に辿り着いた。

「っしゃあ!到着!」
「すごい!本当に着けたね」
滝にはきらきらといつの間にか橙に変わった陽光が溢れ差し、喜びを増幅させた。
「優秀なナイトだって言ったろ」
呉彦は得意げだ。
「滝と一緒に」
「苺は見つかったか」
私を私たらしめる苺。私の希求していたもの。
「わかんない。でも」
「こんなに楽しかったのは久しぶりだよ」
俺もだよ、と呉彦が笑う。
「呉彦は」
「うん」
「謎が解けた?知りたいって言ってた、私の」
世界がオレンジ色で丸で溶けているみたい。マーマレードみたいでちょっと美味しそうだ。
うーん、と呉彦。かなり唸っている。
「寧ろ深まった!」
「えぇ……」
「でも」
「うん」
「それが俺にとって想像以上に眩しくて心地好いことはよくわかった」
「もう」
「……綺麗だね」
夕陽に包まれやっと辿り着いたそこは本当に美しく、ある種の桃源郷のようだった。
「本当に」
呉彦が頷き、互い目が合う。
世界の時間が止まったようになりデザートみたいに、甘い、甘い空気が立ち込める。
「やっぱり俺はグレ彦らしいな」
少し照れて私は笑う。
「浮き名のひとつは嫌だよ」
「根も葉もない噂を信じないでくれよ」
あからさまに落胆したポーズを呉彦がするので私は笑う。
「また付き合ってくれますか?お姫様」
「……また?」
呉彦がひざまづき手を差し出す。
「付き合ってくれますか?お姫様」
私は手を取って笑う。甘い苺。
夕ももう暮かかりそうになっていた。


きらきらと陽光が溢れ差す滝を前に子供たちがはしゃいでいる。
「此処が父ちゃんと母ちゃんの初デートの場所?すっげー」
「すっっっっごく綺麗だね!」
私たちは手を繋いで笑う。
「ほら!転ばないでよ」
「走るな走るな」

忘れられない、私の始まりの
deserted.

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