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こころの成長は永遠につづ

もの心ついてから、
ひとの命の終わりのこと

愛犬
小学1年生の頃から高校2年生まで
私の人間性ができるあいだ、ずっと一緒だった
赤ちゃんで来た愛犬は私よりもぐんぐん大人になるスピードは早くて、いつのまにか、私の心の支えになっていたのだと思う。
実姉はふたつ上ですがまるで違う
もっともっと大きな姉みたいな存在。

他界する1年前くらいかな、子宮摘出手術に、皮膚炎に、鼻のできもの。それまでは何もなかったと思われる体に立て続けにきたこと。。
付きっきりでいつも寄り添いたかったから、高校は1週間くらい休んだこともあった。
回復したものの、大丈夫と言われている手術で立ち合わなかった、、亡くなってしまった。
悔やまれて悔やまれて、でも、あのずーっと寄り添った1週間があったからか、受け止めるのも早かったかな。

その数年前に、愛犬と仲良しだった近所の祖母の犬と猫も先に他界していたので(おろしろ不思議話があるので、いつか書きたい)寂しくないよねって、思いがありました。

私の最期までの見守り
はじめては愛犬のことでしたね。
あぁ、可愛かった。
あれから犬と暮らしていませんが、また同じような思いができると思うから、いつかいっしょに暮らしたいなと心に思っています。

人も動物も、看取るとき
何をしてあげたいか、
と、自分も何かしてあげたことで受け止めたい
と思うのかなと思うと、

「弱っていく姿を見ていられない」

と、思うこともあるとは思う
でも、そういう方はずーっとわだかまりがあるように思えてしまうのは私だけでしょうか。
それでもその人にとってはいいのかな。
私はそれを見て、感じてイライラしてしまう。
まだまだ受け止める心が成長途中です
おわりがない、心の成長。


おばあちゃんの話から外れてます。
おばあちゃんのことは、まちがいなくきちんと書きたいから、また改めて。


また思いついたら、書き綴りたいです。


おばあちゃんとも仲良しだった愛犬
今ごろ、いっしょに居てくれることを願います。

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