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ヴァージニア・ウルフ、太宰、『夏目漱石』から、思考の途中経過

まとまっていないのですが、思考の途中経過を残す目的で書いています。読みづらい点、お許しください。それではどうぞよろしくお願いいたします。

ヴァージニア・ウルフ の『灯台へ』を図書館で借りてきまして、パラパラと読んでいます。

この作品は「意識の流れ」の手法で書かれた作品として知ったのでありますが、
太宰も、作品『女生徒』の中で「意識の流れ」を使っていました。

その他の太宰の作品を読んでみても
太宰はこの手法を多用する作家というか、「意識の流れ」そのものじゃん!と、そういう感触をもちました。

で、問題はここからです。

ウルフの作品と、太宰の作品と。受ける印象が共通しているのに気づきました。

「ひと」と「自分」、「世界」と「自分」、その境界線が薄いというか、とけあってしまうような、そういう感じを受けました。

だからこそ、作者がその文章に込めた空気や、感情や、その他たくさんのものを、読者はまるでそこに一緒にいるかのように共有しているような感覚が生まれ、共感性、共鳴性、一体感が生まれるのだと思います。

一方で、境界線の薄さは、他者から、世界から、侵入される、侵略されるというイメージへの恐怖心に常にさらされるということでもあり、その状態で精神の平衡を保つのは難しいかもしれない、ということに思い至ります。。ふたりとも、自殺で亡くなっています。

ウルフと太宰の作品から感じた❬とけあう❭ということばについて、国語辞典で調べました。

とけあう❬解け合う❭
①二つ以上のものが、とけて入りまじる。
②たがいにこころの隔たりがなくなり、うちとける。
③示談で取り引きの契約を解く。
(参考)①は「溶け合う」「融け合う」とも書く。

③は今回は別としまして、
①②の意味がわたしのなかの彼らのイメージに符合します。そして特に、「融け合う」に近いのではないか、と考えました。

ひととひととの境界線がなくなって融け合ってしまう、そのイメージから思い出すのは、エヴァンゲリオンの「人類補完計画」であります。

ウルフの『灯台』が出版されたのは1927年5月。太宰の『女生徒』は1939年。
つまり20世紀前半。

エヴァンゲリオンは1995年~1996年テレビ放映。20世紀末。

このことについてどうとらえていくか、という問いが生まれています🤔

少し話しは変わりまして、江藤淳『夏目漱石』から。
鷗外と漱石先生の留学を比較しています。

鷗外はドイツ留学、漱石先生は英国留学。

「鷗外はやはり最後の人であり、漱石こそ最初の人だった」という記述があります。これはどういうことなのでしょうか。

「鷗外の形式感覚を支えているのが近代社会のなかになんとかして儒学の世界像を維持して行こうという努力であり、漱石の自由さ、形式嫌悪の底にあるのはほかならぬその世界像の崩壊をこの眼で見た孤独な個人の絶望だからです。」

この事は、鷗外が留学したのが19世紀末のドイツだったのに対し、漱石先生が留学したのがヴィクトリア女皇崩御直前の英国だったということとも無関係ではないかもしれない、と江藤淳は指摘しています。

鷗外が留学していた19世紀末のドイツは、医学こそ世界一発達していたかもしれないが、ヨーロッパの中では「近代」に触れることの一番少ない、つまり封建時代の日本に似たところのある国だったそうです。そういう国を通じて「西洋」に触れた鷗外。異質な文明に対する憧れと反発とを作品に吐露してはいるものの、この「西洋」は鷗外のなかにあった儒学的な世界像を崩しはしなかったこと、いやむしろ、あらためてその普遍性を補償した、こういう鷗外が「最後の人」になっていったのは当然の成り行きであろう、と江藤淳は述べています。

しかし漱石先生は、鷗外が死ぬときまで維持しようと努めた儒学の世界像がまさに崩壊したところから出発しなければならないことになった。漱石先生が留学した20世紀初頭の英国は、ヨーロッパのなかで一番近代化の進んでいた国。英国で「西洋」にぶつかった漱石先生は、身をもって近代人というものが孤独な個人として生きるほかないということを発見した、と江藤は述べています。

「この発見は漱石をひどい神経衰弱に追いやった。そこから彼が書くことによって立ち直っていったのはすでにお話した通りです。近代人には自分を超えた価値などはない。人は各々のエゴイズムを抱えて寂しく生きるほかない。そういう近代人、心ならずも孤独きわまる「個人」というものになってしまった人間にとって、それならいったいどこに救いがあるのだろう。これが僅か11年の短い、しかし異様に充実した作家生活を通じて、漱石が一貫して問い続けた問題でした。」

…と読んできまして、

20世紀は「個」と「孤」の時代、
「一体感」への希求、あるいは恐れ

というようなキーワードがわたしのなかに浮かんできました。イメージとして浮かんだので、論理性はまだあまりないのですが、
わたしの追求したいテーマに非常に近いところに近づいてきましたので、引き続き、本を読み、考えていきたいとおもいます。

読書日記でありました。
お読みいただきありがとうございました。

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