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『家族のゆくえ』を読んで

わたしは、わりと「考える」タイプでして(考え過ぎてこじらせるタイプでもありますが)、「考える」ということにおいて、ずっと自分を支えている言葉があります。

今日はそのことについてお話してみたいと思いました。

(以下敬称略で失礼します)

この本、吉本隆明『家族のゆくえ』の中で出会った言葉です。

引用します。

『普通、「やる」ことは「考える」ことより大切だとおもわれがちだが、わたしはそんなことは信じていない。
わたしが埴谷雄高(はにやゆたか)さんに感心する点もそこにあった。あの人は花田清輝との論争のなかで、クモの巣のかかったような部屋に引きこもっていたって革命家は革命家なんだ、と明言した。そこまで言い切った人はいない。世界中にひとりもいないといってよかった。
(中略)
埴谷さんはクモの巣のかかった部屋でゴロゴロしていたって永久革命家なんだと言い切った。考えることが大事なんだと断言した。そんなことをいったのは埴谷さんが世界で最初だとおもう。
じっさい、からだを動かさなければダメだということはない。そうではなくて、考えることを構想する人が過半数を超えれば考えただけでも変わるのだ、この世界もこの国家も。』

※埴谷雄高(1909~1997):作家・評論家。代表作は『死霊』(講談社文芸文庫)。
※花田清輝(1909~1974):文芸評論家。吉本隆明との「戦争責任論」をめぐる論争はよく知られている。

衝撃でした。

この言葉に出会ったとき、ちょうどわたしは、自分の人生が停滞して身動きがとれない状況で、鬱々としていて、だからこそ、この言葉の衝撃はとても大きなものでした。

いま見てもその衝撃を思いだし、国語辞典に頼りました。おなじみ、旺文社国語辞典で調べてみました。

❬革命❭
〈天命が革(あらた)まる意から〉
①支配者階級から、それまでの被支配者階級が国家権力を奪い、政治形態や社会組織を根本的に変更すること。
②それまでの制度や考え方を根本的に改めるような変革。

とあります。ふむふむ。革命って、なかなかすごい言葉ですね。びっくりしながら辞書をみつめていましたが、

吉本隆明・埴谷雄高の言葉は、それまでのわたしの考え方を根本から改めるようなものでしたから、
②の意味で、わたしの中に革命が起こったんだなと思いました。

その革命が起こって以来、「考える」ということの持つ力を、しっかり考えるようになりました

わたくし、実は、夏目漱石『こころ』について長年考えてきたことがありました。

ずっと考えてきたことが、きのう突如としてまとまって文章にすることができて、自分でも驚いている次第です。

『こころ』は高校生のときに読んだので、つまり20年以上読んでいないことになります。ですからイメージだけで考えてきたようなものです。

もはや読んでいないのと一緒です。イメージの中であたらしい別の物語を作り出しちゃってそれについて考えてきた感すらあります。ヤバさ全開です。文章の形にしたものの、読んでもらえるような文章にはなっていません。

しかし、考えずにいられない切実な何かが『こころ』という作品の中にあって、
それをずっとずっと考えて、ついに昨日、こういうことだったのではないかという、ひとつの考えにたどりつきました。

ふと思い付いて調べましたら、昨日(2月19日)は、埴谷雄高の亡くなった日だったことが分かりました。

埴谷雄高の命日に、長年の考えをまとめることができた、これは偶然かもしれないし、偶然じゃないかもしれない……不思議な気持ちになりました。

と、いうわけで、ここまできまして、
前置きが長いのよ、早く『こころ』読んじゃいなよ!という声も聞こえてきます。

しかし『こころ』に対し、思い入れが深すぎるがゆえに、迂闊に近づけないというか…。なのでちょっとずつ近づいているわけです、モゴモゴ…(←え?こわい?)。

この思い入れ。もはや恋なのかしら⁉️
なーんてはしゃいでいましたら、

「恋は罪悪ですよ」という声がふいに聞こえてくる。ギャーッ\(>_<)/(←落ち着け自分)

おかしなことばかり言ってすみません。恥ずかしくなってきちゃったので、このあたりで失礼いたします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました🙇

⭐️この感想文は2023年2月20日に書いたものです

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