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『孤独地獄』と『レノン・リメンバーズ』

芥川龍之介「孤独地獄」という短めのお話があります。

芥川が母から聞いた話で、母は自分の大叔父から聞いたということです。

大叔父は、大通(遊芸に通じた大趣味人)の一人で、幕末の芸人、文人に知己の数が多かった。姓は細木、名は藤次郎、俗称は山城河岸の津藤といった。

その津藤が吉原の玉屋で、一人の僧侶と近づきになった。禅寺の住職で、名は禅超。それが漂客(遊郭の客)となっていた。
もちろん肉食妻帯が僧侶に禁じられていた時分のことであるので、表向きには医者と号していた。

ある日津藤が禅超に会うと、禅超は調子が悪そうである。顔色がいつにもまして悪い。津藤は、何か心配事があるのではと思い、自分のようなものでも相談相手になれるならと言ってみるが、禅超は打ち明けるわけでもない。津藤はこれを、漂客のかかりやすい倦怠(アンニュイ)と解する。酒色を恣(ほしいまま)にしている人間がかかった倦怠期は、酒色で癒る筈がない、と…。

二人はいつもよりしんみりした話をした。

禅超が急に思い出したように言う。
「仏説によると、地獄にもさまざまあるが、およそまず、根本地獄、近辺地獄、孤独地獄の三つに分つ事が出来るらしい。(中略)その中で孤独地獄だけは(中略)どこへでも忽然として現れる。云わば目前の境界が、すぐそのまま、地獄の苦艱を現前するのである。自分は二三年前から、この地獄へ堕ちた。一切の事が少しも永続した興味を与えない。だからいつでも一つの境界から一つの境界を追って生きている。勿論それでも地獄は逃れられない。そうかと云って境界を変えずにいればなお、苦しい思いをする。そこでやはり転々としてその日その日の苦しみを忘れるような生活をしてゆく。
しかし、それもしまいには苦しくなるとすれば、死んでしまうよりもほかはない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌だった。今では…」

その後の禅超がどうなったかを知る者はいない。

安政四年(1857年)ころの話である。
津藤や禅超とは、生活も興味も異なる自分であるが、孤独地獄という言葉を介して、同情の気持ちを注いでしまう。何故かといえば、ある意味で自分もまた、孤独地獄に苦しめられている一人だからである。

…というお話です。

精神医学、心理学が一般的に知られてきた今。禅超の状態は、中年期の、鬱的な心理状態なのであろうか…と推察しました。「境界」ということばが使われていますが、おそらく一瞬一瞬を越えていくのがこの上なくつらく重たい…という、心理状態なのではないかと。楽しいことは時間が早くすぎるけれど、つらい時間は、時間がたつのが遅く、一秒一秒が重く苦しい…。時間を超越することができないわけです。そのつらい時間が生活を覆いつくし、極限まで極まった状態なのだろうか…と感じました。

芥川は母から聞いた話をもとに、この心理状態に焦点を当てて描写し、感情移入するということを、この作品の中で行っていると思いました。

ここで、思い出したのがジョン・レノンへのインタビュー本「レノン・リメンバーズ」です。

「レノン・リメンバーズ」は吉本ばななさんのエッセイで紹介されていて、10年くらい前に読みました。
1970年のインタビューです。ジョンはこの中で率直に思いを語っているように感じました。成功の裏で、金や成功や酒色を求めて寄ってくるたくさんの人たちに、ジョンの気持ちがもみくちゃにされたことなど…。読んでいて内容が辛かったです。

その中に興味深いことばが。

「いまだけを問題にするなら、すべては安心なのです。いま、この瞬間だけなら、だいじょうぶです。(中略)いまを持ちこたえろ、そうすれば紅茶が飲めるかもしれないし、つかの間の幸せが、いまにも手に入るかもしれないのです。要するに、こういうことなのです。瞬間から次の瞬間へ。ほんとうにこんなふうに生きるということです。毎日を大切にしながら、同時に、毎日をおそれながら。」

この言葉を読んで、芥川とジョン・レノンが、同じところを見つめていたかもしれない、と思ったのです。

表現の仕方や、受け止め方、それに対する態度はそれぞれ違っていますが、同じところを見つめている!と感じたのです。

時代が違っても、国が違っても、どこか深いところでつながっているのかも…。二人の天才の紡いだ言葉から、人間の心の、深い領域に思いを馳せました。

そして私は緑茶党なのですが、ジョンの言葉を知ってから、1日の中の緑茶を飲むひとときに、特別な意味と希望を感じるようになりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

「芥川龍之介全集1」
芥川龍之介
ちくま文庫

「レノン・リメンバーズ」
ジョン・レノン
片岡義男訳 草思社

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