6月18日(日) 雨 涼

 友人からのアドバイスを受け、有償イラスト料金表改良版とその他説明書をつくっていた。時間が無限にあるわけじゃないからこればっかりに時間をかけていられないけど、案内資料がダサいイラストレーターには依頼したいと強く思えないし、ある程度のダサさを捨てられるようにせかせかつくっていた。今度ホームページもつくりたい。

 昼には合同説明会を受けて、早く内定がほしいな~この企業に入れたらな~なんてゆるいことを考えていた。

 最近Twitterおすすめ欄がイラストかイラストレーターのつぶやきばかりになった。その中で見かけた印象深いものが英語の教科書のイラストを担当したイラストレーターさんが、そのイラストに対して寄せられた意見に激怒しているものだった。イラストはかわいいケモノ系キャラで、寄せられた意見には「えっち」「性癖に刺さる」「ケモナー向け」といったものがあった。イラストレーターさんは大人数で努力してつくった教科書という未成年向けの公的な書籍が、そういった性的コンテンツとして扱われたことに不快感があったことを示していた。私には予想できなかったが、生産者側から出された消費者の態度への不満に対して消費者側から返ってきたのは否定的な意見が多かった。みてみると、生産者の手から離れたものをどうしようと消費者の自由だ、らしい。なるほど、自分が生産者側にいることがあるので理解できない感覚だが、消費者側にしかいない人の中には生産者への敬意なくして消費者の自由があると思っている人もいるらしい。私はどんなコンテンツにおいても最も忘れてはならないのが生産者へのリスペクトだと思うよ。だがしかし、寄せられた意見に引っかかるとことがあった。「えっち」「性癖に刺さる」などの言葉はかなり多くの場所で見かけるし、聞く。自分も使うことがある。今回の一件に対する考察で「それらの言葉を性的消費の言葉ではなく褒め言葉として使っている人間が多い」というものを見かけた。そうだ、私たちはいつからかそれを一種の褒め言葉として使っている。私もそれらをポジティブな意味で使用する。感覚が確実に麻痺している。自分の周囲ではそれを当たり前に使う人が多くて、聞きなじみのないときには自分も驚いていたはずなのに、環境に慣れてしまっている。自分が情けなくて恥ずかしかった。思考し言語化することを諦めて全ての感想を「尊い」で済ませるようになったあの風潮が大嫌いで仕方なかったのに、私も同じようなことをしている。醜い。反省した。自分の言葉がどこでどのように誰かの心を傷つけているかわからない。言葉はポジティブで優しいものに限るし、もっと自分の発言に疑問をもって言語化を諦めないようにしないといけないね。

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