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【白い巨人の影の立役者】ジュニ・カラファト

その名は、ジュニ・カラファト
レアル・マドリーのチーフスカウトだ

彼は、アレマニーやモンチなどのようなメディアの露出は少ないが、サッカー界に関する幅広い知識と才能を見抜く的確な能力を持っていると認められている。


現在、レアル・マドリーのフットボールチームは3人を中心に運営されている。トップのフロレンティーノ・ぺレスとその右腕ホセ・アンヘル・サンチェス、そしてチーフスカウトのジュニ・カラファトがいる。元ジャーナリストでテレビ番組の解説者として有名になった彼にとって、この地位は異例のことだ。

彼は、ヴィニシウス、ロドリゴ、ベリンガム、直近のエンドリックの獲得に大きく貢献した。近年の青田買い政策の成功に欠かせない存在だ。

世代を代表するスター選手をどのように集めたのか。今回はそんな影の功労者にスポットライトを当ててみよう。



ジュニと呼ばれる男

51歳のジュニ・カラファトは、ブラジル人の母のもとスペイン、マドリードで生まれた。幼少期の大半をブラジルのサンパウロで過ごし、2014年にレアル・マドリーのスカウトに抜擢された。きっかけは、スペインのテレビ番組で彼の南米サッカーに関する知識がファンの間で話題になったことだ。

最初の推薦はまだ無名だったカゼミーロで、その後のフェデ・バルベルデなど、徐々に才能を見抜く目が認められ彼の影響力が増していった。

彼は、選手やその家族と築く関係性を重要視している。選手に会うために何度も出向いて直接交渉、家族の背景や選手の周りの人物と人間関係まで事細かに把握している。選手の家庭環境はピッチ上でのプレーと同じくらい重要であり、関係者全員の信頼を得ることがカラファト流のアプローチである。スカウトチームを取りまとめる立場に昇進しても、視察、話し合いに自ら出向くスタイルは変わらない。

彼は、選手の両親がプレー時間とチャンスについて安心感を求めていること、お金は重要だがすべてではないこと、欧州へ移住し新しい環境でプレーする難しさを知っている。ブラジル選手の90%が貧しい労働階級出身であり、サインひとつで選手の人生を左右する、その重みと責任を感じているのだ。

ちなみに、彼は契約やお金の交渉などはしない。彼の役割は選手にレアル・マドリーを勧めることだ。


ヴィニシウス

当時16歳だったヴィニシウスは、両親、代理人と共に施設を視察するためにマドリードを訪れた。

ヴィニシウス一家がマドリードのバラハス空港に到着した際、母親のスーツケースが紛失していたことが判明した。カラファトはすぐに高級デパートに連れていき、代わりの衣料品が買える商品券を一人一人に手渡した。この咄嗟の対応は、ヴィニシウスと家族に好印象を与えた。

カラファトは、ヴィニシウスの背景を隈無く調査し14か月にも及ぶ慎重で忍耐強い交渉の末、Yesを引き出すことができた。

最初にアプローチしていたバルセロナとの争奪戦を制し、今やバロンドールクラスの選手にまで成長した。

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ロドリゴ

ロドリゴとの契約はさらなる忍耐が求められた。2014年の彼が13歳の時から注目しており、サインまで4年にも及ぶ長期戦だった。きっかけは当時カスティージャに移籍してきたウィリアン・ジョゼからの推薦だ。

ロドリゴの父エリックが初めてマドリードに来た際には、カラファトがフロレンティーノ・ぺレスとの会談の通訳を務めた。

「僕は母と一緒に家にいた。父は朝出かけていて、ジュニと話していた」とロドリゴはESPNに語った。「バルサとの契約はすべて決まっていたが、僕の夢は常にマドリードでプレーすることだった。父は家に帰ってきて、僕と母の前を通り過ぎ、僕の寝室に行き、僕が持っていたレアル・マドリードのシャツを拾い上げて僕に投げつけ、こう言った。『バルセロナかマドリード、どっちが欲しいか選べ。僕はマドリードを選んだ。あの瞬間はいつまでも忘れないだろう』」

契約後の12カ月間、当時ロドリゴがまだサントスの選手だったころ、カラファトはサンパウロ州オザスコにある実家を定期的に訪問し、2019年1月9日にはロドリゴの18歳の誕生日を祝うためにそこにいた。

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彼は、選手と契約後も頻繁にコンタクトを続けている。
2人がスペインでのキャリアを始める際には、彼が賃貸住宅を手配し、彼らが馴染むのをサポートした。カタールW杯の際には、カタールに滞在しヴィニシウスの家族と面会していた。


ミリトン

2019年にはマドリーが新しくセントラルを探していた際、ぺレスは当初アヤックスで活躍していたデ・リフトを推していた。しかしカラファトはよりスピードがあり現代的なミリトンのほうが優れていると説得し、結局後者が選ばれた。

最初の2年こそサブに甘んじたが、その後の活躍はカラファトの選択が正しかったことを証明した。

時間が経つにつれて、ペレスが彼の選択を信頼するようになった。



ジュニ・カラファトの影響はブラジルだけにとどまらない。
2016年にはペニャロールのユースで活躍していたフェデ・バルベルデを獲得。アーセナルも興味を示していたが、彼が選手と家族を説得させ現在は1億2000万ユーロの価値を持つワールドクラスの選手となった。

2015年には、16歳だったノルウェーの神童ウーデゴールの獲得にも貢献した。

2019年7月には、日本を訪れ数日後FC東京の久保建英がレアルマドリーと合意したと報道された。1年前から準備していたプロジェクトで、ラ・マシアの血が流れている久保建英にマドリーを勧めたのも彼だ。

リヴァプール?



いくつかの失敗

当然、すべての選手がヴィニシウスのように成功したわけではない。

2015年に1400万ユーロで獲得したルーカス・シルバはほとんどインパクトを残せず、二年で帰国。

2019年、レイニエルは3000万ユーロでマドリーに引き抜かれた。その後、欧州でのキャリアに苦戦している。フラメンゴでは15試合に出場しただけで、欧州でプレーする準備ができていなかった。青田買い政策の被害者だ。

南米では、最高の若手選手を発掘し契約する競争が激化している。ビッグクラブは選手が20歳、21歳になるまで待つことに満足していない。16歳、17歳の値段が大幅に上がる前に、契約し確保したい。近年のサッカー界の急激なインフレの影響だ。ヴィニシウスはフラメンゴのトップチームで練習するよりも先にスペイン紙MARCAの表紙を飾っていた。

そして、最も失敗の印象に残っているのはフランクフルトから獲得したルカ・ヨビッチだ。6000万ユーロをつぎ込んだにも関わらず、フリーで退団していった。

同時期のエデン・アザール獲得の際には、何年にも渡ってロンドンを訪れ、秘密裏にプロジェクトが進められていた。その後、アザールは全てのタイトルを獲得したものの、クラブはお金だけ払って1年早く追い出した。

pro future stars

いくつかの失敗はあれど、クラブの政策は成功といえよう。多くの選手がトップチームの主力として活躍し、そうでない選手でも高額な移籍金を残して去っていった。多少の失敗には目をつむることができる。

これらの活躍から、プレミアリーグのチェルシー、リヴァプールなどのクラブがカラファトの招聘を狙っているとテレグラフが報じたこともあった。



影の立役者

現在のチームにカラファトチルドレンは欠かせない存在だ。そして、レニー・ヨロやアルゼンチンのマスタントゥオーノなどは今後のターゲットであり、今彼が最も推しているのは、来季に目指すであろうレヴァークーゼンのヴィルツだ。

ジュニ・カラファトの仕事は今ではなく未来に焦点を当てることであり、彼の仕事が終わることはない。

舞台裏の影の立役者に、今後も注目だ


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