青の緞帳が下りるまで #28
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第八章 戯曲 コーリャと村娘の恋 2
「二幕四場 劇場」
T、発声練習をしている。公爵、登場。
公爵「そこにいるのは、Tではないか!」
T「公爵さま!(周りの様子を伺い、声を潜めて)お久しゅうございます。お体の調子はよろしいのですか?」
公爵「まあ、悪くはないということにしておこう。王都の生活はどうだ。その後、変わりはないか?」
T「何も変わりません。場所が変わっても私は歌うだけです」
公爵「見事なものだ。お前は誰の力も借りず、最短でこの舞台にたどり着いた」
T「王室劇場に立つのは私の夢でした。それに」
公爵「それに?」
T「あの方と約束したのです。次に会う場所は王室劇場の舞台でと」
公爵「あの方とは……もしや……」
T「そうです。Kです。私たちY街の古い劇場でいつも一緒に練習していたんです。公爵さま、教えてくださいませんか? Kが王都に移住した本当の理由を。彼は王室劇場の団員になったのでしょうか。彼は今日の式典に来ているのでしょうか?」
公爵「……来ている」
T「どこにいるんです? 舞台の前に彼に会って驚かせたいのです」
公爵「彼は……その、今は舞台裏にはいないから、歌が終わってからの方がいいだろう」
T「公爵さま、もったいぶらずに教えてください。せめてヒントだけでも。どの辺を探せばいいのですか?」
公爵「今は歌に集中しなさい。歌が終われば、彼の方からお前に会いにくるようわしの方で取り計らっておこう」
T「ありがとうございます!」
(開演のベル)
T「もう行かないと。公爵さま、お目にかかれて嬉しゅうございました。Kのこと、お願いしますよ」
(T退場)
公爵「これはどうしたものか。TはKを追って王室劇場の舞台まで一目散に駆け上がって来たというのに。KはTに自分の正体を教えていなかったのか。あいつは父親に似て優柔不断だからな。はてさて、残酷なことになった。どうしたものか……」
(公爵退場)
「二幕五場」
T、国王賛歌を歌う。ロイヤルボックスからそれを眺めるKとS。拍手と同時にT退場。
S(立ち上がって拍手)「なんて素晴らしい声ですの。彼女こそまさしくこの国の至宝ですわ。ヤロックの曲も圧巻でした。彼がこの場にいないのが残念でなりません。……陛下、どうなさいました?」
K「いえ、……本当に、素晴らしい演奏で」
(S、体を乗り出し熱心に拍手する)
K「そのように興奮されてはお体に触りますよ」
S「だって凄かったんですもの。どうか指揮者の方に命じてくださいな。あの黒いドレスの子の歌をもう一度聴きたいわ」
(K、手で合図をする。T登場。オーケストラが演奏を始める)
S「陛下、あの歌手、名前は何と言うんですか」
K「余は王室劇場の歌手には疎いんです。彼女はまだ学生のようですね」
S「まあ、学生なのにこの才能。陛下、どうか彼女をこちらまで呼んでいただけません? ぜひ会って一言声をかけたいわ」
(K、家来に手で合図する。T、KとSの前に現れ、一礼)
S「素晴らしかったわ。お名前は?」
T「……Tと申します。王妃さま。陛下におかれましては……」(顔を上げる)
(T、驚いてKの顔を見つめる。K、Tから視線をそらす)
T「……陛下におかれましては、ご即位、そしてご成婚、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」
K「ありがとう。T、まだお若いようだが、音楽院の学生ですか?」
T「今年の九月に入りました」
K「入学して六ヶ月で王室劇場の舞台に?」
T「ヤロックの歌を歌える人材がなく、抜擢されたのです」
(S、二人のやり取りを黙って見守る)
K「舞台はどんなお気持ちでしたか?」
T「王室劇場の舞台は私の夢でした。今は夢が叶って嬉しく思います」
(T、一礼し、走って退場)
「二幕六場 王妃の寝室」
S、ベッドに横たわる。医者が退出すると同時にK登場。
K「ご気分はどうかね? 王妃」
S「ご心配をおかけして申し訳ありません。昨日の音楽祭で興奮しすぎてしまって、その疲れが出ただけですわ」
(K、S、沈黙する)
S「陛下、ひとつお願いしてもよろしゅうございますか」
K「何だね」
S「あの、Tという歌手をここに呼んでいただきたいのです。彼女の歌を聴くと、心が癒され、元気が沸いてくるのでございます」
K「いや、彼女は音楽院の学生で……。それに貴族ではないから王宮には上がれない」
S「そこを陛下のお力でどうにか」
「二幕七場」
K、王妃の寝室の前に立ち、時間を気にする。T登場。
T「陛下におかれましてはご機嫌……」
K「堅苦しい挨拶は抜きにして、歌を歌ってもらいたいのだ。き、きき、后がお前の歌を聞きたいと。いや、これは政略結婚であって余が今でも想っているのは――」
T「何を歌えばよろしいのですか?」
K「陽気な気分になる歌を」
T「わかりました」
(K、Tの髪に触れようとするが、手をひっこめる。T、寝室に行く)
(T、衝立の奥で歌う。聞き惚れるK)
K「相変わらずTの歌はいい。ところで王妃は何か勘付いたのだろうか。気づかれないようにしていたのだが、女性は妙なところで勘がいいからな」
(公爵登場)
公爵「おお、これはこれは、陛下におかれましては……」
K「叔父上!」(駆け寄り、公爵に抱擁しようとするが、かわされる)
公爵「ご命令どおり、Tを連れてきましたぞ」
K「感謝します」
公爵「しかし、わしが三十歳も年下の愛人を持つことになろうとはな」
K「申し訳ありません。Tを王宮に入れるのに貴族の身分が必要で……。叔父上の愛人にすれば一番てっとり早いと思ったのです。しかし、よくTが納得しましたね」
公爵「勝手に命令しておいて、どの口で言っておるのだ。国王命令なのだから断ることなどできぬであろう。哀れなTは『幼いときから公爵邸に出入りしておりましたし、一番怪しまれない方法といえば、これしかなかったのでしょう』と涙にくれていたぞ」
K「そんな……」
公爵「涙にくれたというのは嘘だがな」
K「叔父上!」
公爵「まあ、戸籍上独身だから構わぬがな。愛人をもっていると噂されるのはわしもあまり気分のいいものではないな」
K「叔父上だってこれまで余を散々利用したじゃありませんか! お互い様ですよ」
公爵「開き直って逆切れか? 若造め」
K「やるか! この老いぼれ」
「二幕八場 王妃の寝室」
S「外が騒がしいようですね」
T「久しぶりの叔父と甥の面会で昔話に花が咲いているのでしょう」
S「次はフィガロの結婚のアリアがいいわ。私の大好きな歌なの。Voi che sapete(恋とはどんなものかしら)、歌えて?」
T「ええ、王妃さま」
S「あ、待って。歌いながら私の話を聞いてほしいの。あなたにどうしてもお願いしたいことがあって……。だから少し音量は抑えてくれるかしら?」
T「ええ、王妃さま」
(T、フィガロの結婚より「恋とはどんなものかしら」を歌う)
「三幕一場 王妃の寝室」
S、ベッドに横たわっている。K、登場。
K「気分はどうだ?」
S「陛下、申し訳ございません」
K「何を謝ることがある?」
S「私の治療費で国庫が大変なことになっていると……」
(K、枕元の新聞をとり、破り捨てる)
K「デマだよ。こういうことは面白おかしく捏造して書くものだ」
S「私は二国間の平和を望んでやみません。それなのに私のせいでこの国と私の祖国との関係に亀裂がはいるとしたら……」
K「王妃が気にすることはない。それより薬はちゃんと飲んでいるんだろうね」
(K、Sに薬を渡す。S、薬を飲む)
S「私はてっきり、祖国から私の治療費の支援が出ていると思っていたのです。これでは完璧に私が悪者ではありませんか。後世の歴史家はこぞって私の悪口を書くのでしょうね。国を傾かせたのは隣国から嫁いできたS王妃だと」
K「やめなさい。体にさわるから悪いほうに考えるのは」
S「ああ、私は陛下のお役に立ちたい。この国の平和のために……。それなのに、私が死ぬとそれを口実に私の父はこの国に攻め入るつもりなのです。私に子供ができれば、陛下に跡継ぎができれば、時間稼ぎができるかもしれない……」(咳き込む)
K「ゆっくり休むのです。王妃、あなたはこの国のために必要な方です」
S「お優しい陛下、私は陛下のお役に立ちたかった。この国の人のためになりたかった……。私の命はもう明日にも尽きてしまいそうです。陛下、Tの具合はどうなのですか?」
K「明日か明後日には産まれるそうだ」
S「私は……彼女にひどいお願いをしたのですね」
K「王妃はお優しい。皆のためを思っての行為だったのでしょう」
S「いいえ、私はひどい人間です」
(暗転)
「三幕二場 鏡の館」
T、ベッドに横たわっている。公爵、そばに座っている。
公爵「気分はどうかね?」
T「Kはここには来ないのですね」
公爵「王妃が危篤状態に陥ったそうだ。それに、お前はわしの愛人ということになっているからな。何かほしいものはあるか?」
T(首を振る)「所詮、私は皆さまの手のひらの上で踊らされていただけなのですね」
公爵「この運命を選んだのはお前自身だ」
T「公爵さまは昔から責任転嫁がお上手ですね。黒いショールを首にまかなければよかったのでしょうか。私が聖歌隊で歌わなければよかったのでしょうか。そうすれば私はそこをたまたま訪れたKに見初められることもなく、公爵さまの劇場で練習することもなく……。私が歌わなければ……。(溜息をつく)国王と王妃の命令に逆らえる人間がこの国にいるというのですか? ……Kは卑怯です」
公爵「卑怯?」
T「歌を引き換えにしてきたのです。条件をのまなければ私から歌を奪うと」
公爵「確かにそれは卑怯だ。だが今は興奮するのはよくない。大切な体なのだから」
T「他人の手で自分の運命が決められるのが癪なだけです。国の命運? そんなのうんざりです。私は――ただ歌いたいだけなんです」
公爵「陛下はお前が歌う場所を用意してくれたのだろう?」
T「ええ。すべてが終われば、私は王室劇場の舞台に戻れるのです。今、わかりました。私に大切なのは一時的な恋心ではなかったのです。歌です。歌が一番なのです。歌は決して私を裏切るようなことをしない」
公爵「T……」
T(お腹を押さえる)「あっ……」
公爵「T!」
「三幕三場 王宮」
家来三「王妃さまが出産準備に入られてもう丸三日がたつ。お体は大丈夫なのか?」
家来四「王妃さまに何かあったらそれこそわが国は終わりだ」
家来五「公爵さまのお力で高名な外国の医師を呼び寄せて治療に当たられているそうだ」
家来三「それにしても遅い……」
(赤ん坊の泣き声)
「三幕四場 王妃の寝室」
S、ベッドに横たわる。K、そばに座る。公爵と赤ん坊を抱いた侍女、衝立の奥から登場。
公爵「陛下、お生まれになりました」
K「男か、女か」
公爵「男女の双子でございます」
K「そうか……これで、わが国は助かった……」
S「……陛下、間に合ったのでございますね」
K「どうしたのだ、王妃! 王妃!」
S「どうか……Tに歌を……」
K「王妃!」
(暗転)
鐘の音。葬儀の列。
K「可哀想な王妃、そして可哀想なT。お前が舞台に立つことはないだろう。お前は国家機密を知った人間として闇に葬られる。余は何と不幸なのだ。この国のために愛する人を犠牲にしないといけないとは。わかってくれ、T。余はお前を死なせたくないのだ……」
「三幕五場 鏡の館」
T、ベッドから起き上がり、ベビーベッドに行く。子供がいないことを知り、狼狽する。
公爵と侍女登場。侍女、腕に男の赤ん坊を抱いている。
T「ああ、公爵さま! 私の坊や」(赤ん坊を抱こうとするが、侍女は渡さない)
T「娘をどこにやったのです」
公爵「陛下に女の子の世継ぎが生まれたそうだ。王妃さまは出産の産褥で亡くなられた」
T「私の娘は……」
公爵「生まれたのは男の子だけだ」
T「嘘です!」
公爵「男の子だけだ」
T「嘘です。私の子供たちを返してください!」
公爵「この男の子は公爵家で育てよう」
T「私の子供たちは……」
公爵「叫ぶと喉を痛めるぞ」
(T、口を閉じる)
公爵「お前はもはやどこにも存在しない」
T「どういうことです?」
公爵「お前の身柄は王室が預かる」
T「どういうこと……」
公爵「お前は王室の管理下に置かれる。お前の戸籍は削除され、その存在すらなかったことにされるのだ」
T「約束が違います。歌は? 王室劇場は……?」
公爵「ここで歌いたいだけ歌うがよい。楽譜や必要なものがあったら何でも届けさせよう。ここから出ることだけは死ぬまで許されないだろう」
T「私の子供たちは……」
(公爵、侍女、退場。扉が閉まる。暗転)
→(次回)「青の緞帳が下りるまで #29」(第九章 乾杯の歌)
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