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先住猫との出会い

猫を飼うにいたるまで


少し思い出話を書こうと思う。
長くなるけれど、おつきあいいただければ幸いです。

私の「猫」に対する概念をまるっと覆した猫が、先住猫である。

2023年2月現在、1歳10ヶ月(推定)

出会いが本当に運命的だった。

私の長年の夢は、猫がいる(&ピアノが弾ける)生活だった。
子供の頃から実家にはなんらかの動物がいたし、海外に移住してからは仕事の傍ら、ハムスターを飼ったり、ウサギを飼ったり、帰国した友人知人が残していった高齢の猫たちの介護をするなどして、とにかく私のまわりにはいつも動物がいた。ただ私がお世話をしてきた猫は、皆、「誰か」の猫だった。

「自分だけの」猫を飼うことを考えたが、動物と暮らすというのは、その命に対して責任を持たないといけないということ。
猫に万が一のことがあったときは、すぐに動物病院に連れていかないといけないし、治療のため、つきっきりの世話をしなければならない。
当時、私は国内外の出張が多い職務についていて、家を空けることが多かった。そのため「自分の」猫を飼うことは半ば諦めていた。
「自分の」猫がいなくても、身内も親戚も皆猫を飼っていたから、猫に不足はしていなかった。

状況が一転したのが、コロナ禍だった。


コロナは「悪いこと」ばかり?


ものごとにはなんでも良い面と悪い面がある。
けれど「悪いこと」の中には、実は「良いこと」もあるのではないかと思う。
(コロナで大変な思いをされた方がいる中、コロナに「良いこと」もあった、とは言いにくいのだけれど…)

私自身、コロナ禍で良いことも、悪いことも経験した。

まずは私に起きた「悪いこと」。
(あまり重く受け止めずに、読んでやってください)

今でこそ言える話だが、まだ日本で感染が広まっていなかった2021年春、北米在住の私の身内(5名)が全員コロナに感染し、入院した。
妊娠中の義妹が重症という話を聞いたときは目の前が真っ暗になった。

結論からいうと、病院スタッフの献身的な治療のおかげで彼らの命は助かったのだが、現地の病院とまったく連絡がとれない上、渡航できる状況ではなく、ただひたすら向こうからの連絡待ち。テレビやネットから流れてくるニュースは不安を煽るものばかり。私は〆切りに追われていたのだが、正直、小説など書いている場合なのだろうか……と思う日々だった。
(ご家族と離れて暮らしている方たちは、国内外問わず、大変な思いをされたことだと思います)

そんな中での私自身の失職。
私の専門は語学で、コロナの前は仕事で日本と海外を行ったり来たりという生活を送っていたのだが、コロナで出張がなくなり、渡航できなくなったことから、最終的にその職を諦めざるをえなくなった。

私が住んでいた国ではリスク分散で皆複数の副業を持っていたため、私もそれにならい、同じように副業を複数抱えていた。そのおかげで幸いというか、生活を維持することはできたが、日々貯金を切り崩す生活。海外の友人たちから入るニュースは「~が亡くなった」「~感染した」という報告ばかり。そういうのを見聞きすると、この先のことが不安でたまらなかった。

だが、あとになってわかった。
そのとき自分が抱えていた「悪いこと(悪く見えたこと)」は、実は長年夢見ていた「理想の生活」につながる伏線だった。

旧社会主義国時代の旧友との再会と当時の話


一つの職を失い、副業も収入減になることがわかり、「さあ、どうしよう」と頭を抱えていたとき、友人の一人から「コロナに感染したけど、無事回復したよ」というメッセージが届いた。
海外在住の時期が重なり、同じ苦楽を経験したことのある友人だ。
すぐに返信し、数年ぶりにZOOMで会うことになった。
大変なことを経験したのに、友人はあっけらかんとなにごともなかったかのように喋る。
そういえば友人は、昔から「苦労」を「苦労」と認識しない人だった。
近況報告が終わると、私たちが住んでいた旧社会主義国の話になった。

「私たちが某旧社会主義国にいた頃ってさ、国際電話料金が高くて、数分しゃべるだけで1万円こえたし、携帯電話も完全に普及していなくて(※日本では普及していた)、留学とかで1度あの国に入ったら、帰国するまで誰とも連絡がとれないような環境だったじゃん。あの時代にコロナ禍みたいなことがあったら、情報なさすぎてどうしようもなかったけど、今はこうやってSNSやZOOMとかで無料でやりとりできるわけだし、今って本当に恵まれてるよね。通話代気にせず話せるし、ラッキーじゃん」

友人の言葉に、目からうろこだった。
そうだった。あのときはそれが普通で、普通に生活できていた。
コロナはもちろん、命に関わることだから、おいそれと比較してはいけないのはわかっている。
ただ「他者に感染させてはいけない」という制限はあるが、物は普通にあるし、普通に生活できている。
ネット環境においては、××年前よりはるかにいい。むしろテレワークができる環境になり、無駄な「移動」をしなくてもよくなった。

「大丈夫だよ。今できる自衛をして、今できることをやっていけば、そのうちどうにかなるって」

感染した人がどの口で……と思ったが、友人の根拠のない自信に、私は救われた。

それから話がはずみ、いかにサバイバル生活を送ってきたかという思い出話が、私たちの口から次から次へと出てきて、とまらなくなった。

「今、日本でトイレットペーパーの買い占めとか起きてるみたいだけど、私たちがいた時代の旧社会主義国って、田舎のトイレに行ったら、紙代わりに新聞紙とか雑紙おいてあったよね。トイレットペーパーの紙自体が粗悪だから、日本から持参するようにってガイドブックにも書いてあった時代。あれを経験したら、最悪、どうにでもなるって」

「洗濯機が贅沢品で、備え付けの賃貸物件少なかったから、石鹸と洗濯板で手洗いだったし(※2000年代です)」
「そうそう、洗濯機ドイツ製だから高いし、配水管の工事が大変とかで、大家さんに頼んでも置いてもらえなかったよね」
「そう。なにするんでも大家さんの許可が必要だった」

「冬場はなんか停電が多くて、蝋燭が必需品だった!」
「21世紀なのに黒電話置いてて、なんでだろうと思ったら、停電のときに大活躍するんだよね」
「そうなんだよね。停電でスマホのバッテリーが切れて使い物にならなくなったとき、電話線さえ通じていれば使える黒電話ってすごい便利だった」

「コンビニとかなかったから、買い物も不自由だったよね。商品、勝手に手でとっちゃいけなかったし、店の売場にいる店員にディスプレイ用の商品指さして、これこれくださいって言って、店の奥から出してもらうとき、商品名言えないとだめで、ものすごく語学力上がったよね」
「そうだった! 現地に住んでいるうちに数字の表現に強くなった。店員に『○○ルーブルです』って言われたとおりの数字を正しく聞き取って、レジに言って『○○売り場、○○ルーブル』って支払って、引き換え用のレシートもらって、そのレシートと商品を交換した。牛乳とチーズ買ったら疲れ果てて、野菜がほしくても、レジと売り場が違うから、20分かかってやっと買えた後に、また20分かかることを考えたら、『今日はもういい。次回にしよう』って次回にまわしたら、ほしかった野菜がなかったりした! だからもやしの缶詰があったら即買った」

「冬場、電力不足で路面電車がとまったら、ひたすら歩いて帰ったよね」
「友達のダーチャ(別荘)に行ったときに遭難しかけたことあるよ。バスが来なくて猛吹雪の中、3時間かけて鉄道の駅まで歩いた」
「あるあるだよね!」

二人で楽しく昔話をした。
これも渦中のときは「悪いこと」のように思えたが、時間が経って「良いこと(楽しい)」ことになった。

(誤解のないように。私たちのサバイバル生活はまだかわいいほうです。私たちの大先輩たちはソ連時代を経験しており、普段の会話は盗聴されていた、物がなかった、人が並んでいるとなにを売っているのかわからないまま最後尾に並んだ、外貨ショップに行った、賄賂が普通だった、というもっとヘビーな話が出てくるので、私たちの経験はまったく武勇伝でもなんでもないのです)

「悪いこと」は認識を変えれば「良いこと」に?


友人と話しているうちに思い出した。
旧社会主義国で知り合った人たちは皆、大変なことをユーモアにかえて笑いあった。
「最終的にはなんとかなるでしょ」「どうにもならなかったら、そのときはそのとき」と、のりきれる。
あと「大変なこと」を知っているからこそ、当時の友人たちは困難時に強いし、いざというときに頼りになる。
「あなたのことを心配している」というわかりやすい心配の仕方ではない。
彼らは、ストレートな「心配」はしてくれない。
楽しい話をし、楽しい時間をつくり、「心配ごと」を吹き飛ばし、いつしか頭を「楽しいこと」に向けてくれる。

その友人はそういえば、保護猫を飼っていた。

「猫たちは元気?」
「元気だよ。今は増えて5匹になった」
「羨ましい。猫さわりたい」
「猫飼ったら? 猫はいいよ。猫がいてくれるおかげでうちは幸福度が増した」
「飼いたいんだけどね。今は自分の世話だけで手一杯だし。責任持って最後まで飼えるかちょっと自信ないなあ」
「大丈夫だって。飼ったら飼ったでどうにかなるから」

そんな会話も交わした。

友人は常日頃、「まず自分がやりたいこと」をすれば、それに適した現実があとからついてくる、と言っていた。
私も海外に住んでいる間に、それに近い信念を持った。
「溺れながら覚えよ」だ。
完璧な状況は絶対に来ない。完璧な状況を待ってからことをはじめるより、「やりたい」と思ったときがそれをやるタイミング。
失敗しながらでも、行動したことに、結果がついてくる。

コロナ禍のせいで外出が制限され、これまできていたことができなくなった。でも、なにもかもできなくなったわけではない。
外出できないからこそ、できることもある。
猫と一緒に暮らすために、今できることはなんだろう。

そう考えたときに思いいたった。

そうだ。まずは猫を飼える環境を作ろう。

猫を飼うための準備をととのえる


帰国した当初、私が住んでいた家は、あくまで仮の住まいであり、主に「寝るため」「蔵書を保管するため」だけの場所だった。
(執筆作業は旅先や海外の滞在先でやっていた)
そこで良い機会だと思い、思い切って不動産会社に行った。

これまで自分の行動は外に向いていた。
仕事や旅行でしょっちゅう外に出ていた。でもコロナ禍で外出できなくなったからこそ、住環境(内)をととのえるときだと思った。

失業を経験したけれど、これまでもなんとかなったから、今後もなんとかなりそうだし(根拠のない自信)、よくよく考えてみれば、そろそろ仕事のやり方を変えたいと思っていたときだった。
しばらく日本に住めるのなら、日本でやりたかったことを片っ端からやりたい。やっとそんなふうに思えた。

人間の脳は「変化」を嫌がり、「現状維持」を望むものらしいけれど、目標が見つかったとき、人は動けるようになる。
それに意外とどうにかなるし、実際どうにかなった。

「ペット可(&楽器可)の物件に引っ越す!」
そう決めたら、あとはスムーズだった。

新居の条件はいくつかあったが、そのうちの一つは新居の近くに動物病院があることだった。猫が病気になったとき、駆け込める場所が必要だと、猫飼いの身内から耳にたこができるほど聞かされた。

その希望を叶えることはできた。猫部屋も用意した。
だが肝心の猫を、(日本で)どうやってお迎えしていいものか、わからなかった。

実は帰国してすぐ、猫の譲渡会に問い合わせてみたのだが、想像以上に条件が厳しく(※私はいろいろゆるい国に住んでいたため、余計にそう思った)、その中でも「(猫を預けられる親族がいたとしても)家を長期留守にする可能性がある」はNGとされた。

保護された猫というのは、過去にいろんなことがあった猫たちだ。
二度と悲しい思いをさせないためにも、里親を選別するのは当たり前といえば当たり前なのだけど。

なにはともあれ、覚悟を決めて行動すると、現実が動き出すのは本当だった。

新居が決まり、引っ越しもすみ、家の中が落ち着き、「あとは猫をお迎えするだけ」になったとき、思いがけない出会いがあった。

子猫との出会い


そのときは、突然やってきた。

新居のまわりを散策しようと遠出したとき、高速道路下の茂みの中から動物の鳴き声が聞こえた。
赤ん坊の声に似ていた。猫だ。
「まさかこんなところに猫がいるはずがない」と耳を疑った。
けれど茂みの中から、明らかに猫らしい生き物の声がした。

ぎゃお~ん ぎゃお~ん

鳴き声は正直、猫というより、怪獣のようだった。

その動物は「助けて!」「お腹すいた!」と必死で叫んでいた。

シルエットは確認したものの、初回は逃げられ、上手に保護できなかった。
けれど「あ”あ”~」と枯れたような声が心残りで、翌朝もう一度その子をさがしに行った。

子猫は前日と同じところにいた。
耳が大きくて、茶色いフェネックのようだった。
茂みの中でちょこんと座り、声を枯らしながら、全力を振り絞って、鳴いていた。
痩せっぽちで、全身ノミだらけ。よろよろと歩き、「あ”~」と助けを求めてきた。
抱き上げると、ふわふわであたたかくて小さい。
(あとで動物病院ではかってもらったのだが、500gほどしかなかった)
乳歯が生えていたので、2~3ヶ月といったところ。
爪はかなり伸びていたが、耳の中はきれい。人に慣れていて、まったく抵抗しない。怯えたり、噛みつくこともない。
野良猫が産み落とした子猫なら、近くに母猫がいるはずなのだが、母猫どころか、生き物がいない場所。ということは、あまり考えたくないことだけど、人間に捨てられた可能性が高い。
ご飯になるようなものもない、人もめったに通りかからないような場所。小さな体で、がんばって生き延びたのだと思うと、胸がしめつけられた。
(今でもそのときのことを思い出すと胸が痛い)

水をあげると、べちゃべちゃと飲み、子猫用のウェットフードをあげると、これまたものすごい勢いで食べた。
食べたあとは、小さい後ろ足でカカカッと背中と頭をかき、前足を舐め、顔を洗った。こんなに小さくても、猫なんだなあ、と妙なところで感動した。
体を冷やさないようにタオルでくるむと、一生懸命ふみふみした。

キャリーを用意する時間がなかったので、子猫をタオルにくるんだまま、箱に入れ、大至急、新居の近くの動物病院に連れていった。
(※家にあげると家がノミだらけになるので、まずは病院で処置)

動物病院に運ばれたとき

本当は予約制の病院だったのだけど、受付で事情を話したらすぐに診てもらえた。
診察の前にノミ・ダニ駆除をしてもらい、爪を切ってもらう。
子猫は信じられないくらい良い子で、誰にさわられても抵抗しない。
検温のときもおとなしく、お尻の穴に体温計をつっこまれても、暴れなかった(「うっ」と表情をかえただけ)。

首から背中にかけてノミに食われていること、体のあちこちに外傷があり、その治療に時間がかかること、ノミ・ダニ駆除でしばらく薬を塗らないといけないこと、猫の医療費は高額であり、生涯面倒を見ると100万円以上はかかる……といった説明があり、最後に

「この子、どうされますか?」

と聞かれ、迷わず「うちの子にします」と言った。

(子猫が脱走猫の可能性も1%ほどあったので、近所の方や地域猫のボランティアの方たち等に問い合わせてみたが、心当たりはないとのことだった)

そう答えたとき、動物病院のスタッフさん、また待合室で知り合った猫飼いの方がとても喜んでくれた。聞くと、コロナ禍で猫を捨てる人が増えて、問題になっているとのことだった。

「この子猫ちゃんはラッキーな子ね」と言ってもらえたけれど、本当にラッキーなのは私のほうだった。

思いがけず、ずっとほしかった子猫がうちに来た。

とはいえ、私がこれまでお世話をしてきた猫たちは2歳~シニアで、生後2~3ヶ月の子猫というのは初めてだったので、子猫の体力についていけるか、仕事に支障をきたさないか心配だった。

けれど、すべて杞憂だった。
その子猫は私が知っているどの猫より、手間がかからなかった。

トイレは一発で覚えた。
薬も嫌がらず、飲んでくれる。フードの好き嫌いもない。
一時しのぎで急遽購入したポータブルケージの中で(※ダニが完全駆除できるまで隔離)、ペットショップで買った小鳥のぬいぐるみと一緒になってちんまりと寝た。

お世話に無我夢中だったので、当時の写真が少ないのが心残りです…


子猫は可愛いけれど育てるのはとにかく大変と言われる(※大変さは1年後に保護した兄妹猫のときに思い知る)が、この子は本当に例外的に楽だった。
うちに来てしばらくは夜鳴きがやまなかったが、床や壁、家具を傷つけたり、カーテンをのぼったりというような悪さは、初日もそれ以降もなかった。

トイレのスコップに興味津々


子猫は、てのひらサイズで、やわらかくて軽くてあたたかい、ちんまりとした毛玉だった。

前日までは生き物の存在がなかった部屋に、猫がいる。
たった一日で生活が一変する。
その変化が不思議でたまらなかった。

毛玉は少しずつ大きくなり、どんどん可愛くなっていった。
私にとって子猫は、ペットというより、同居人というほうが近い。
独立心が強く、必要以上に人にべたべたしない。
布団の中に潜ってくることもない。お出かけの際の見送りも出迎えもない。
けれど、私が家にいるときは必ず半径3メートル以内にいる。
甘えて膝にのってきたりはしないけれど、「ここにいるよ」と、さりげなくアピールはする。お気に入りの場所に行くとき、わざわざ私を経由し、足元をしっぽですりっとする。

そういう話を猫飼いの友人たちにすると、「えー甘えてこないのってさびしくない?」「クールな子!」という反応をされる。

でも誰がなんと言おうと、この子猫が、私にとって最高の子であることは間違いない。
私自身、ベタベタするのが好きではないから、この距離感がちょうどいい。
子猫は(歴代の猫たちのように)PCのキーボードの上に乗って、仕事の邪魔をすることもないし、書類を囓ったり、ペンを落とすこともなかった。
(一度やったときに注意したら、だめなことだとすぐに理解した)
空気を読み、私の仕事中は一人で遊んだり、猫用ベッドの中でじっと待っている。

子猫のときはぬいぐるみのようでした


たぶん、それぞれが出会い、お迎えする猫たちというのは、その人にとって最良であり、最高の、猫なのだと思う。

「IF(もし)」


小説を書いているときに、「IF(もし)」という設定を考えることがある。
もし過去にこういうことが起きてきたら、もしくは起きていなかったら、未来は変わっていたのではないか、というもの。
(この世界は多重世界であるという考え方もあるけれど)

人間誰しも、別の人生の可能性を一度や二度(もしくはそれ以上)、考えたことがあると思う。
あのときこれを選択しなければ、進路が違っていれば、別の人とつきあっていれば、結婚していれば、別の職業についていれば……。

妄想をめぐらすことはできるけれど、この子猫にたどりつくために、過去にいろんなことがあったのであれば、まるっと受け入れることができる。
それまでに経験したつらいこと、いやなこともすべて、あの日、あのとき、あの場所で、この子猫に会うために必要な出来事だったと思えば、世界のシナリオはあまりにも完璧だった。

「もし」失業を経験しなければ、引っ越すこともなかった。
「もし」引っ越しした後、散策しようと、行ったことのない場所に行ってみなければ子猫はいなかった。
「もし」新居がなければ、子猫を保護しても一緒に生活することができなかった。

子猫と一緒に生活するための条件をととのえていった結果、自動的に子猫がやってきた。そんな印象を受けた。

(「もし」あのとき、自分があの場所で子猫を保護できなかったら、子猫はどうなっていただろう…というのも考える。無事で本当によかった)


人生における「悪いこと」は「悪いこと」ばかりではなかった。
「良いこと」もちゃんと用意されていたのだ。

***

最後に

この子猫はその1年後、我が家に子猫(兄妹猫)を迎えたことにより、先住猫と呼ばれることになる。

先住猫を茂みに捨てた人が本当にいるのであれば、ゆるせないことだけれど、ある意味感謝している。

おかげでうちに最高の子をお迎えすることができたから。

手放してくれてありがとう。あなたにこの猫はもったいない。
こんなに可愛くて、かしこくて、愛情にあふれた素晴らしい猫はほかにいない。

あなたの代わりに、私が全力でこの子を幸せにします。

1年後、妹猫にグルーミングする先住猫


どうかこの世界のすべての猫たちと、飼い主さんたち、猫に従事するお仕事をされている方たち、動物を大切に想っている人たちが幸せでありますように。

(長くなりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました☺)


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