青の緞帳が下りるまで #04
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序章 A王女 4
記者会見の大広間はごった返しだった。
本来なら、今頃この場所でイーラの新刊の企画展が行われるはずだった。そう思うと、悔しさがわきあがってくる。
壇上に立った司会者が取材陣の前で一声を発した。
「お集まりいただきました皆様に最初に申し上げておきます。すでに説明させていただきましたが、マエストロへの質問は音楽祭に関すること、マエストロの音楽活動に関することに限らせていただきます」
大広間の四隅には護衛の軍人たちが控えている。それだけマエストロが重要人物ということだ。
「マエストロは政治に関する質問には答えられません。とりわけアナスタシア王女に関してはいかなる質問であっても答えられることはありません。質問された場合、即、会見を打ち切らせていただきます」
その話を聞き、アンナがイーラに耳打ちした。
「噂通り、すごいアナスタシア王女嫌いなんですね」
「なんで嫌っているのかしら」
「編集長が調べたところによると、アナスタシア王女が音楽嫌いだったからだそうですけど。それでなくても、各地で王女に関する質問攻めにあい、うんざりしたとか」
「そうなのね」
反アナスタシア王女のスローガンで独立したアルトランディアの政府筋やマスコミはマエストロの口から、反アナスタシアの意見を聞きたがっている。
だが、その誘導には乗らないという姿勢なのだろう。
マエストロの登場を待つ間、司会者がざっとその経歴と功績を説明した。
まずマエストロの師匠ヤローキンについて。ヤローキンは今は亡きアルトランディア国王ニコライ九世、十世に仕えた宮廷音楽家である。天才の名をほしいままにしたが、四十年前の国王暗殺クーデター事件の最中、劇場火災で死亡。その作品の数々は焼失。生存にまつわる資料も失われたため、その存在には謎が多く、伝説となっている。
そのヤローキンを蘇らせたのが、国外に出て、急死に一生を得たヤローキンの弟子である、巨匠ヴィターリー・ヴォルホフである。
マエストロはヤローキンの数多の曲を暗譜していた。幸いにも国内のクーデターから逃れ、ドイツの音楽院に留学したマエストロは、その後北米に渡り、譜面に起こしたヤローキンの作品をまとめ、この世に出した。
そのときの衝撃は各国の音楽史にも記録されている。
ピアニスト兼指揮者としても活躍していたマエストロは自らの演奏会でも好んでヤローキンの曲目を演奏した。公演は大成功をおさめ、世界各地で賞賛を浴びた。
アルトランディア共和国では亡命者の帰還を許していなかったが、マエストロの名声が高まるに連れ、政府内で帰還を求める声が大きくなった。そうして、一九五四年になり、ようやくマエストロの帰還とマエストロ自身によるヤローキン作品の公演が実現したのである。
長い説明の後、ようやくその人があらわれた。
マエストロは壇上をゆっくりと歩く。
用意された椅子に座り、司会者から手渡されたマイクを持つと、
「私のアルトランディア語は下手になっていませんかね」
素晴らしく流暢なアルトランディア語で切り出した。ユーモアあふれるしゃべりに、会場の緊迫した雰囲気は一気に和らいだ。
「大変お上手ですよ、マエストロ。立派なアルトランディア人のアルトランディア語に聞こえます」
「それはよかったです。通訳をつける費用を節約したかったのでね」
マエストロの言葉にまたどっと場がわいた。
「マエストロ、今のお気持ちを率直にお聞かせ願えますか?」
「この国に帰ることは私の夢でした。国を捨て、逃げ出した私を受け入れてくれた祖国の皆様に心から感謝します」
「アルトランディアに到着されて、何を召し上がりましたか?」
「昨晩到着して、まだ夜と朝の二回しか食事をとっていないのですが。朝食の詳細はホテルのコックに聞いたほうがいいでしょう」
記者はそれを受け、「コックに食事メニューを聞く」と律儀にメモをとる。質問の合間にカメラのフラッシュが激しくたかれる。
「そのベレー帽はどちらで購入されたのですか?」
「ファンの方にいただいたものです。あたたかくて重宝しております」
「この国のファンに一言お願いします」
国内の騒乱を知らない世代からの無邪気な質問に老マエストロは誠実に答えていった。
「どうしよう。全然見えない。どう?」
「大丈夫ですよ。手を上げれば気づいてもらえますから」
隣に座るアンナは思いのほか冷静だった。じっと一点をみすえ、決定的チャンスをねらっている。
かたやイーラは緊張で心臓おかしくなりそうだった。質問内容はあらかじめ用意されている。まわりの質問を聞きながら、まだ話されていないことを訊けばいいだけのこと。
それでも心が混乱するのは、余計なことを考えてしまっているから。
マエストロに直接、父の名を言ったらどうだろう。いや、そんなことなどできるはずがない。だけど諦めるには、彼が祖父が話したヴォルホフでないという確証がほしかった。
記者会見の質問は次々にすすんでいった。
「ここユヴェリルブルグにはほかにも近代的設備の劇場がありますが、マエストロがこの劇場での公演にこだわられた理由は? ヤローキン記念劇場だからですか?」
マエストロは一瞬の間を置き、答える。
「それもありますが、舞台の青い緞帳をご覧になりましたか? この青の緞帳を所有しているのは、私の知る限り、王都の王立劇場とこの劇場の二つだけなのです」
この言葉を聞くと、より共感できる。祖母が憧れた青い緞帳。
この人は紛れもないアルトランディア人だ。
「国王の音楽師範であったヤローキンはこの青をこよなく愛していました。ですから私はこの青の緞帳のある劇場で、帰国後初の公演を行いたかったのです。もっともそれだけではありません。この劇場は師ヤローキンの処女作の初演が行われた場所でもあります。政府の方には大変無理を言って申し訳なかったのですが、美しく蘇った劇場を見て大変嬉しく思います」
一同がざわめいた。大スクープに、記者たちは慌ててメモをとる。
記者の一人が手を上げ、興奮した面持ちで立ち上がった。
「マエストロ、ヤローキンは歌曲を得意とした作曲家です。今回音楽祭で演奏される『国王賛歌』のようなオーケストラ作品は到底生み出せなかったでしょう。ヤローキンが作曲した旋律をモチーフに、マエストロがオーケストラ用に編曲されました。発表された作品は、九割がた、いえ、ほとんどマエストロの作品といっても過言でありません。それをあえてヤローキンの名前で発表されたのは何故ですか?」
老マエストロは静かに答える。
「私のライフワークは偉大なヤローキンの曲を広め、その名前を歴史に残すことです。ヤローキンは歌曲だけでなく、オペラ曲も手がけています。ヤローキンは自分で歌曲の旋律を主題に、交響曲を完成させるつもりでいましたが、時間が足りなかったのです。私はヤローキン師の意志を継ぎ、それを完成させたにすぎません」
あたりは水を打ったように静まりかえった。いくらヤローキンの名を語ったところで、マエストロ自身の力がなければその曲は有名になりえなかった。いまやマエストロあってのヤローキンなのに、老マエストロは謙虚な姿勢を崩さない。その姿に対する敬意の念が会場に広がっていった。
質問は続いた。
「失礼ですが、マエストロはヤローキンといつ、どこで知りあわれたのですか? マエストロの出身はオゼルキ村だそうですが、王宮勤務のヤローキンとの接点は?」
「ご存知の通り、私の故郷はアルトランディア東部のオゼルキ村です。作曲家を志していた私は故郷で上演されたヤローキンの作品に感激し、ヤローキンにファンレターを送りました。それが交流のきっかけです。若気の至りでヤローキン色満載の曲を本人に送りつけたところ、『完全な駄作である』との返事をいただきました」
劇場のロビーの展示物を思い出し、会場から笑い声が漏れた。
「それでもヤローキンは私になんらかの興味を持ったようで、その後も何度か書簡のやりとりをしました。作曲のアドバイスもいただきました。ヤローキンの楽譜の写しをいただくこともありました。最後に会う約束をしたのは、あの劇場爆破事件の前です」
今まで各国の記者に答えてきたのと同じ話を老マエストロは繰り返した。どこかで聞いたことのある話でも、本人の口からだとより説得力が増す。記者たちは聞き入っていた。
アルトランディア王国最後の国王ニコライ十世の即位十三周年を祝う新年の式典。そこで悲劇は起きた。
親リトヴィス派の国王は国の愛国主義者たちの手によって国王一家は暗殺され、王室劇場は爆破された。火災、暴動、リトヴィス軍の侵攻によって一万人以上の死傷者を出した未曾有の事件は、国際社会ではほとんど注目されなかった。
「いたましい事件で師は命を落とし、その後、私たちは会うことはありませんでした」
沈鬱な空気の中、一人の記者が立ち上がった。
「音楽関係者が多数亡くなった事件で、マエストロが生き延びられたのはまさに奇跡です」
「ありがとう」
マエストロは貴族でなかったがために、王室劇場での式典に出席することができなかった。それが命運をわけたのだという。
「では、次の質問ですが、O出版社の方」
「きた! どの質問にする? この三番目のやつ?」
イーラの問いに答えず、意を決したようにアンナは立ち上がった。
「マエストロの帰還を心より歓迎いたします。ところでマエストロはタチアナ・Lという歌手をご存知ですか?」
「ちょっと!」
イーラはアンナの袖口を引っ張った。
タチアナ・Lという名前に、会場がざわめいた。
「予定された質問とは違うようですが」
司会者が丁寧にアンナに言った。共同記者会見の場では、個人的な質問は慎まなければならない。
「あの……どうしてもお答えいただきたいのです。その、劇場の展示とも関係があることですし、音楽院で学ばれたのなら、面識があるかと思うのですが」
突拍子もない名前と質問に場が騒然となった。さすがのマエストロもこんな質問は想定していなかったようで、表情に戸惑いが見えた。
「だめよ。三番目の質問にして」
イーラは耳打ちしたが、アンナは引かなかった。そういえば彼女は音楽院の教授だった叔母の手記を研究していた。
おそらく、この質問をするためにインタビューを志願したのかもしれない。
「マエストロと無関係な質問はおやめください」
「いえ、関係はあります。、マエストロがお会いになったことはありませんか? タチアナ・Lは一時期、アナスタシア王女の声楽の先生をしていたそうなのです」
「アナスタシア王女?」
司会者が聞きかえした。
さすがにこれはまずいということを、イーラは察した。
マエストロの前でその名前は禁句だ。
マエストロがしばし考え、口を開きかけたそのとき。
「時間です。マエストロはお疲れですから、会見はここで終えさせていただきます」
ピシャリと司会者が言い放った。
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