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盗作ライブレポート

 素晴らしい公演でした。この公演に携わってくださった全ての方に心からの感謝をします。ありがとうございました。


会場に入った瞬間、ふわりと肌を掠めるように風が吹いて、鳥のさえずりと川のせせらぎが聴こえた。ここは、と思う前に充満したスモークが霧であることを理解する。さすが。既にライブは始まっているらしい。
座席を探すと随分と前で驚いた。舞台全体がそれなりの近さで見渡せて、かつ、演者の顔は確認できない位置。最高の場所だ。前の座席の人が背の高い人でありませんように、と無駄な祈りを捧げる。Twitterで騒いでいると、座席違うかもしれないですと声をかけられてひとつ左にずれた。とっても恥ずかしい。数字も読めない高校生。
落ち着いたのでTwitterを閉じて、入場の際にもらった冊子を開く。負け犬の特典に載っていた文章だったか。発売された頃繰り返し読んだ文章のため、すんなり入ってくる。三回ほどぐるぐる読んで、言葉を咀嚼して気持ちを落ち着ける。文字は私を安心させるから、活字を読むのが好きだ。
冊子を閉じると「盗作」の文字が目に入りどきりとする。爆弾魔とこの文章を負け犬から引っ張り出してきた意味を、私は知れるのだろうか。
いよいよ始まるらしい。時間を気にするのは無粋なので腕時計を外す。いつでもつけているから腕時計がないのは何となく不安だが、代わりにハンカチを握りしめた。
声出し指笛サイリウム禁止、着席厳守ときたらもうライブというより観劇である。もっとも、あとから考えればあの空間はライブではなかったが。

ブザーが鳴って、あかりが落ちる。何度味わっても、舞台の始まる瞬間というのは胸が高鳴るものだ。誰かが出てきて、おそらくn-bunaさんであろうとアタリをつける。暗くてよく見えないが、マイクの前に立ったからきっとそう。
私たちはこの話を知っている。そう思うような幽霊の話。淡々とした声が心地いい。私は彼の話し方が大好きで、生み出す言葉が愛しくて、だからその時点でぽろぽろ涙が落ちていた。マスクの替えを持ってこなかったのは失策。読み方が途中ポエトリーリーディングのようになって、月光のライブを思い出した。と思えば、声に感情が乗って、投げつけられたそれにぶつかる。苦しかった。

春ひさぎのイントロはアガる。が、正直私は語りでやられてそれどころでないので春ひさぎを聴きながら信じられないくらい泣いてた。ピンクの照明がびかびかしてて、照明演出今回も最高だなと思った。後に最高とかじゃなく、もはや腰抜かすことになるのをこの時の私はまだ知らない。
あと、n-bunaさんがやけに洒落た帽子をかぶっていること、suisさんの髪がみどりなことに驚いた。そこでふたりの容姿についての興味は失せたので、以降ふたりについて容姿の描写はないです。

思想犯。歌詞が新聞切り抜き風フォントでスクリーンに映される。キタニさんがめっちゃ荒れ狂う。キタニライブでもそんな暴れてなくね?ってくらい暴れてる。キタニさん遠いなと思って、散々近い!!と思った座席はキタ二ライブだったら遠い!!と思う位置なことに気づく。キャパが大きい。

強盗と花束、「隣の家なら徒歩一分」の語尾に音符がつくほど朗らかに歌うのが本当に好き。自分で歌う時も必要以上に楽しそうに歌っちゃう。
いこう、僕らで全部奪うのさ。
n-bunaさんの曲と私の琴線の位置が近すぎるので、音の圧の中、歌詞を噛み締めるだけでも簡単に泣けて困った。終わった方が未だマシ。

ここで何故か急に思い出した。前に堂前さん(No.734さん)とあわしまさんとn-bunaさんが三人で話していたときの話。和やか(?)に談笑してたんだけど、淡島さんがしばらく作品づくりをしていなかった話になったら、「じゃあ死んでたってこと?死んでたんじゃん!!」とn-bunaさんが強く言っていたこと。本人に責め立てる気はなかったかもしれないし、私の記憶違いだったら申し訳ない。でも、創作しない人間は劣っているとでも言わんばかりの形相だったことは覚えている。こんなに優しい歌をかく人が、あんな風な物言いをするその恐怖にも近い何かが、創作への過剰な執着が、きっとヨルシカをヨルシカたらしめているのかなと、ふと考えた。

語り。夜祭りに行く記憶のはなし。大丈夫だよと手を握って笑う彼女、という情景が私の好みドンピシャで混乱した。性癖把握されてる?

昼鳶!映像が良かった。いろんなキスシーンがずっと流れる映像で、びっくりしたからか曲名が思い出せなくて、モヤモヤした。たくさんの関係性が見え隠れしたけど、そのどれもに「何も無いから僕は欲しい」という歌詞が当てはまる気がする。これキスシーンだけだと、攻めてる!尖ってる!くらいで終わるんだけど、最後ふたりの顔がぐちゃぐちゃの線で隠されるのがかなりキた。ありきたりな展開といえばそうではあるけど、やっぱりこれがあるとないじゃ大違いだと思う。表現としての性を見せつけられた、これはエロいとかそういうんじゃないと断言したい。

演出の良さに腰を抜かしたのがこの継ぎ目。
ゆっくりと光の線が伸びてくる。線は膜へと変わって、私たちの頭上には空が浮かび上がる。雲が流れて行くのを惚けたように見ていれば音が聴こえてくる。明瞭な歌にならないそれのピントがゆっくり合って、曲が始まる。

「死ねない世界になればいいのにね」
「言葉以外は偽物だ」
「それはきっと魔法だから」
等々、好きな歌詞がたっぷり詰まってるレプリカント。特に「さよなら以外全部塵」の潔さがとても好きなので、生で聴けてうわぁ〜の気持ちになった。泣き疲れたのかぼんやりしていて鮮明な記憶はないけど、確か照明がすごかった。ライブレポにしてはあまりに不確かな感情と情報を話しているな。

花人局、椅子がなかったら膝の力抜けてたと思う。今回椅子があってよかったと思う場面が五回くらいあった。そのうちの一回。
これも映像がとてつもなく素敵だった。部屋中がうっすら埃を被ったような色温度低めのくすんだ映像で、奥さんの持ち物が花に代わっていく演出。花の種類も一辺倒でないところが良かった。あなたが花に置き変わっていき、記憶が薄れていく。もう一度見たい映像ランキング一位。
「明日にはきっと…」からn-bunaさんも一緒に歌い出して驚く。音源でも歌っているのに、生で聴くと新鮮な驚きがある。馬鹿みたい!で重なるふたりの声の妙な痛々しさに胸が押しつぶされた。言葉だけを…までの間がたっぷり空いていて、環境音がする。生活がすぐ傍にある歌だった。苦しかった。

語り。幽霊と一輪草の記憶のはなし。
これを聞いている間脳内にずっと、「われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる」(水原紫苑)という私のとても好きな短歌が浮かんでいた。意訳すると「私たちがまだ魚だった頃に語り合った藻の陰と、今日の夕暮れは似ているわね」という意味で、つまり人間といういきものが出現するそのずっと前から私たちは生まれ変わり続け出会っているわよね、という歌。狂気的で素敵。きっと彼らも魚の頃から生まれ変わり続けている。うちとけて一輪草の中にいる。

逃亡。ぼんやり、聴いていた。
優しく微睡むような歌だと思う。ベンチに座るsuisさんの姿は鼻歌でも歌うみたいで、盗作発売時に書き留めたメモにあった「誰かの鼻歌を盗み聞きした気分」というのがまさしくだった。過去の私いいこと言う。目を瞑って、「さぁ、もっと遠く行こうよ」という声に囁かれ続けながら、学校をサボって海に行った日を思い出していた。あの日の冷たくくすんだ海が揺らめく。

風を食む。
これも優しい歌。でも逃亡みたいな寄り添う密やかな感じではなくて、遠くから愛しいものを眺めるようなやさしさ。「明日はきっと天気で、悪いことなんてないね」、スニーカーを空に放って、あした天気になぁれ!と笑った記憶。翌日は台風一過の綺麗な天気である。きっと悪いことなんてない。

夜行も映像が素敵だった。夜がくることを大人になることに置き換えているという前提があってこその映像。はらりはるるはら、と口ずさみたくなる歌詞に合わせて電車が夕暮れを抜けていく。昼間は山間を走っていた電車が夜になって、都心の夜景になるのは都心に出ていく(大人になっていく)ことを表しているのだろうか。

僕は君を待っている。嘘月。柔らかく、笑いながら歌っていた。この辺りは夢の中にいるみたいにぼんやりしていて、記憶も霞みがかっている。

語り。
夜祭りに着いて、手を繋いだまま人混みを抜ける。揺れる一輪草と脳裏に浮かぶ百日紅。百日紅という花は名前の通り百日程度、年の三分の一近く咲いているのだから、見る機会は自然多くなる。となると思い返すのも容易で、聴きながら私の脳裏にも鮮明な陽の透けた洋紅色が浮かんでいた。爆弾は即ち花火を指していたことに気づく、気づくのが遅い。花火が見たいと思った。終わりを感じる。

ツアータイトル。
上から何かが降りてきて、照らされた瞬間息を呑む。ガラクタと色の破片だ。継ぎ接ぎの成れの果てにしては綺麗。割れた鏡が歌の間中ちらちらと光っていた。照明が打ち付けるように変わっていくのが印象的だった。n-bunaさんがかなりノリノリにギターを弾いていて、その一方でキタニさんはやけに静かに弾いていた。思想犯と逆。
あと、間奏でカノンが混じる、私たちにもわかりやすい「盗作」をどうもありがとうございます。

みんな吹き飛んじまえ!!爆弾魔。
結局この曲が再収録された理由がわからずじまいだ。百日紅の意識を強くさせたかったから?個人的には前に呟いた、夏草、負け犬はある種の目次みたいなものでひとつずつ掘り下げられていくのでは説を推したいが、どうもそうではなさそう。何か知っている人いたら教えてください。
「辛くてもいい、苦しさも全部僕のものだ」
わかってるんだ!この歌詞に救われたいくつかの記憶がぶり返して、視界が揺れた。

春泥棒。やっぱりこの曲は聴きやすい。再生回数多いんだろうなと思って今見てみたら案の定多かった。音だけで薄桃の吹雪が舞っているのが目に浮かぶのがすごいと、聴く度に思ってる。感想が月並み。
ピンク色の照明、花びらが舞い散る映像、花陰が投影されて私たちは上を見上げていたこと。絞り出すような声も相まって、刹那を意識させられる一曲だった。迫り来るという言葉がぴったり。歌の間、suisさんとn-bunaさんが目を合わせているっぽい瞬間があってぐちゃぐちゃになったんだけど、これは書くべきでない感情なので内緒。

「もう、忘れてしまったかな」
花に亡霊。最後の曲だと直感して寂しくなった。
目には映らない”君”に語りかけている歌詞と、フィルム撮影したような写真が流れていく映像。歩く速度で終わりに近づいていた。

メンバーが捌けて、舞台にはn-bunaさんひとりが残る。話し出す。少し掠れた声で、振り絞るみたいに語りかける。吐き出す。ずっときいていたいと思った。終わらないでほしいと、こんなに強く思ったのははじめてだった。


終演後、ざわつきだした場内の、人々の話す声を聴きながら、ただ目を瞑っていた。海底、月明かりを聴きながら、泡ぶくの中にいた。落下を聴きながら、私の身体が落ちていった。人が溢れるロビーで、誰の感想もきかないように相互さんの元へ行き、少し話した。ふたりとも何も言えず、疲れ切っていた。抱えきれない感情を抱えた人間がやけに多い会場だった。渦の中、ひとりで帰ることになる。

今回、一度行けたら満足、ひとりでも多くの人が観れた方がいいでしょと思ってトレード購入もしようとしなかった。でもいざ終わってみると心の底からもう一度観たいと切望している。
あんなに美しい一時間半、もうない。
帰りみち、夜風のなか半袖で丸の内を歩き回って、電車では寝こけ、終バスに飛び乗り、バス停から家までの短い距離を歩いた。暗い、風の強い夜だった。ふわふわとした足取りで歩きながら、なんでこんなところを歩いているのか疑問に思う。まだ夢の中にいた。

そうして、イヤホンから流れだした風を食むがあんまり優しいことに気づく。「貴方の歌だけがきこえる」路地裏にしゃがみこみ、嗚咽を漏らした。冷えた風が強く吹きつけて、髪が攫われていく。月が浮かんでいない、冷たい夜。
夢から醒めて、私はひとりだった。


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