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3つ子戦記 妊娠編【つわり】

こちらは少し汚い表現も出てきます。ご容赦ください。

3つ子の出産に向けて歩みだした私だが、4週目くらいまでは意外と普通に生活していた。3つ子をお腹に宿している実感はあまりなく車を運転し仕事にも行けていた。

しかし、6週目辺りから胸やけのような吐き気のようなモヤモヤとした感覚が出始めた。これが世に言うつわりかな?と思っていたら、それはあっという間に悪化した。

つわりは漢字で悪阻と書く。悪を阻むとは何なのか。私の体は一体何を悪と判断したのか。食するものをことごとく拒んだ。

唯一、受け入れ可能だったのはバナナと水。わーヘルシー。まぁ後々これも食べられなくなっていく。

胃に何か入っていようがいまいが吐き気が30分おきに襲ってきた。吐いていない時も酷い二日酔いのような感覚が続く。

仕事にも行けず休む日々が続いた。申し訳なさと情けなさで辛かった。職場の人たちは優しく私の体調を気遣ってくれた。とてもありがたかった。

妊娠は病気じゃないから。という言葉を耳にすることがあるが、悪阻は病気である。妊娠したことによって悪阻が起こるのだから病気と言っても過言ではないのではないだろうか。神聖な命を宿し育む行為に対して「病」という文字は不釣り合いではあるが、妊娠初期の体調変化は苦しいものがあった。

産院で医師から悪阻の診断書を出してもらい職場に提出し、傷病手当を申請し休業に入ることになった。手当を申請させてもらうことができてとても助かった。

二か月ほどで体重は-7kgになった。

吐き気と倦怠感で動くこともままならず一日中寝たきり生活。水さえも吐く始末。お風呂に入るのも風呂場に長く立っていることができず、夫に洗って、拭いて、乾かしてもらった。妊娠して介護してもらうとは思わなかった。夫も嫌な顔せず私の介護をしてくれたことを今も感謝している。

あまりにもフラフラな状態で胎児は大丈夫なのだろうかと心配になったが、不思議なことに胎児はすくすくと育っていた。母体はこんなに疲弊しているのに、体って不思議だな~と思った。

私と胎児の命は点滴とバナナと水、時々おにぎりや気分によって受け入れ可能な食べ物で何とか繋いでいた。

食べられるかなと思って一度胃袋に入ったものも、やっぱ無理ー!!と追い出されることもしばしば。部屋には私がいつどこで吐いてもいいようにゲロごみ箱が設置されていた。

週数は進み10週目辺りからNICUのある大学病院で診てもらうようになった。

大学病院でも3つ子は珍しいらしく、担当の医師からは何があるかわからないからとにかく安静に!と言われた。

気持ち悪くて動きたくても動けないので安静にしているほかなかった。

家事も仕事も自分の世話も何もできない。ただ空所な天井を眺める日々。

今はお腹の中で子供たちを育てているんだから他の事は何もできなくていいんだよ。と夫は言ってくれた。

その言葉を有難く受け入れ、朦朧とする日々の中、なんとか命を繋いだ。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

続きはまた次回に書きますので、引き続き読んでいただけたら嬉しいです。

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