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3つ子戦記 妊娠編【入院生活】

22週目辺りから入院することになり病院でしばらく生活するようになった。

私としては入院生活はとても快適だった。
だって栄養士さんが妊婦の栄養面を考えて作ってくれたご飯が朝昼晩、自動的に出てきて、優しい看護士さんがいつも健康チェックしてくれて医師も居てくれて清掃の人が部屋も綺麗に保ってくれてトイレもシャワーもある。

何の文句もない!超快適!病院ありがとう!

家にいる時は食事の心配や体調の心配を常にしなければいけなかったので、そこから解放され病院では安心して過ごせた。

部屋は個室ではない大部屋で3畳くらいのスペースをカーテンで仕切られているだけの狭い空間だった。健常な時ならこんな狭い場所にずっといたら気が狂いそうだが、お腹の中の3人の命を安全に育てるためならばなんて事はなかった。

それに動き回れる程の体力もなかった。
悪阻と寝たきりで体力が大分なくなっていたので何をする気力もわかなかった。

ただ生きる保育器と化していた。

毎朝、子供たちが正常に生きているか心音の確認をする。3人の心音を聞くのはハラハラもしたが安心することもできた。3人それぞれ音が違う。1人だけ音が変だなと思う子がいたが医師も看護師も何も言わなかったのでこの時は大丈夫なのだろうと思っていた。

テープとコードまみれ。笑
心音を聞くのとお腹の張りを測るものと計測器をつけて記録する。長いと30分〜60分は動けずこのまま。お腹が大きくなるにつれて朝の計測は苦しかった。

これは28週近くのお腹だったと思う。
私の場合、縦横後前全方向に膨らんだのであまり大きくは見えないかもしれない。
この頃には子供たちは1人1000gを超えていた。
いつ破水したり陣痛がきてしまってもおかしくない状態を毎日、まだだよー!まだお腹にいてねー!と祈りながら過ごしていた。

同室の妊婦さんとも仲良くなった。
みんなそれぞれ大変な状況で出産まで入院を余儀なくされた妊婦さんたちだ。
カーテンをそれぞれ開けておしゃべりをしてくれてとても楽しかった。
みんなで励まし合いながら入院生活を送れたことはメンタルヘルス的にとてもよかった。

新型コロナウイルスが流行る前だったから出来たことなのだろうなと思う。今はもっと窮屈で不安な思いをしながら入院している人たちがいるのだろうと思うと心が苦しくなる。

入院生活が長くなると1日1日を乗り越えるのがだんだん辛くなってくる。

心の支えは同室の妊婦さんと看護師さんと夫と食べ物の画像であった。
病院食も美味しかったが1ヶ月もしたら飽きて、ジャンクフードが食べたくて仕方なくなった。
同室の妊婦さんとは出産したら焼肉!ピザ!アイス!マック!ケンタッキー!!と夢を見ながら話していた。
当然、病院ではそんなもの食べられないのでスマホで検索して指を咥えながら耐えた。

私のマタニティーライフはほとんどを病院で過ごすことになってしまったが、思い返せば人に恵まれた楽しいマタニティーライフだったのかも知れない。

30週を超えてくると流石にお腹が重たくて歩くのもヨチヨチヨタヨタ。もちろん足元は見えなくなっていた。

常に3人の胎動を感じながら子宮に肺を圧迫され息苦しく胃も押されて食事も進まず、全ての臓器が子宮に押されて潰されてまともに機能していなかった。排泄も困難。
もう私は本格的に人間ではなく生きる保育器になったなと感じた。

32週を出産予定日にしようと医師が決めた。病院の都合上、そこでないと医師、看護士の人数が集められず安全に3人の出産ができないからということだった。

緊急帝王切開になった場合、他院への搬送も余儀なくされる。それは低体重児で産まれる赤ちゃんにとってはリスクが大きい。

何が何でも予定日まで耐え抜こうと思った。

予定日が近づく頃には体を起こしているのも辛く、横を向いて寝転がっていることが多くなった。そうでないと息苦しくて意識が怪しくなるほど辛いのだ。

何をするにもフーフー息を切らして動いていた。狭い病室が丁度良い行動範囲となっていた。

そして、ようやく32週と5日目を無事に迎えることができた!!
医師や看護士からよく耐えたね!と褒めてもらった。

これからお腹を15センチ切って子供たちを出産する。怖くないかと言われたら怖かった。

そんなに大きく切開する手術も初めての経験だ。怖いが覚悟を決めて臆せず挑もう!ビビっててもやるしかないのだから!と思い自分を奮い立たせた。

午前中に手術着に着替えて午後の出産に備えた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
長くなって来たので続きは次回にしようと思います。

また読んでいただけたら嬉しいです。

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