気分屋ばかりのアイウォンチュー

気が向いているので、今のうちに記事を量産したくなりました。
よって鉄は熱いうちに叩け戦法です。
意味がわからない子は親御さんに聞こう。

先ほど「①」と言う記事で、『読まれるためには皆が知りたいと思っている情報を書くべき』と言いました。
で、実際のところ、noteと言う媒体では皆さんどんな記事を書いて公開しているのかなぁ、と気になりまして、先ほどトップページに言って適当な記事を覗いてみました。

・・・

・・・・・・

・・・・・・え?


こんなんでいいの?(←オイ


日常の感想文でした。はーとまーくがいくつも付いています。

あ、ふーん(察し

いや、馬鹿にしているとかじゃなくてですね。
気負い過ぎていたのかな、と。

これ、よくやる自分の悪い癖でして。「ある程度完璧に近くなるまで(形になるまで)公表しない」と言う悪癖なのですよ。
プライドが高すぎるというか、元より完璧主義者の癖があるようです。自覚はあるんだけどね〜。。仕事でも結構やりがち。

とかくこの世は、全て完璧なプロフェッショナルがきっちりと綺麗な形にしたものだけを世の中に提供している、と昔からの思い込みがあるのです。
でも、普通に買い物なんかしていても、お店の人だって間違えることもあるし、それについて事細かに指摘して腹を立てることもないでしょう。(程度によるが)
最近、知り合いで自分で商売をしている人がいますが、その人だって恐らく完璧な状態まで持って行ってから商売として商品を世に出しているわけではないと思う。

もちろん、世に出しているのだから、ある程度までは形にしているだろうが、あとは顧客がどう思うかと言う点にかかっているのだ。実際に提供されたサービス(商品)を受けた顧客が、それをどう思うかと言うフィードバックによって改善していくしかないのだろう。(この時、素直に改善点を把握して反映していく必要がある)
また、やりながら自分で改善していくしかないのだろう。ブレない方が良いこともあるし、その塩梅は商売をしていて非常に難しい点だとは思う。

意外と気が付かなかったが、世の中で商売している人は別に完璧だからやっているわけではないのだろうな。


もちろん、これは趣味であるからして、完璧である必要性は尚のことないのであるが・・・。

そういえば今の仕事も専門性が高いものではあるが、毎度初めての状況だったりと内容や前提条件が結構異なることが多く、また相手によって必要とされる成果が違う事も間々あり、繰り返しの作業ではない。
結局は「基本のやり方」はあったとしても、それをお初の状況に対して応用して組み立てていくのだ。だから、きっと完璧な形はあり得ない。これで良いのかな、これなら大丈夫だろう、と試行錯誤しながら作っていく仕事なのだ。
その試行錯誤の結果の精度を高めることが、経験を積んで能力を高めていく事なのだ。すなわち仕事ができるようになる事なのだ。

それはきっと、どんな仕事でもほとんど同じなのではないか。
そう考えると、色んなことが少しだけ気が楽になってくる。そんな気持ちになる。

なりませんか?

自分はなった。

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